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after Saddam〜イラク渡航記 序章


 
UAE、ヨルダンを経て、いざバクダッドへ。
我々9人は戦争終結後、無政府状態が続くイラクを訪れた。
ところが、nowhere――ビザは発給されず、パスポートにもイラク入国を示すスタンプは刻印されなかった。フセイン政権崩壊後は「存在しない国」でありながら「確かに存在する国」――それがイラクであった。
我々とは作家・ジャーナリストの日垣隆が週刊で発行するメールマガジン「ガッキィファイター」でイラク行きを募った結果、勇猛果敢にもホイホイと手を挙げた8人の愛読者と日垣の総勢9人のこと。8人は石原直子、大山謙吾、川名昭広、鈴木進一、田中奈美、野添博雅、吉田由紀子、そして私、東直哉。年齢は22歳の学生から45歳のサラリーマンまでさまざま。居住地も北海道から沖縄、そして中国・北京と津々浦々からの参加だった。
私がイラク行きを希望した理由は、「実際に自分の眼で生のイラクを見たい」ということに尽きた。アメリカのイラク攻撃に反対すること、あるいは賛同することは自由である。しかし、テレビや新聞の報道には確かに国家こそ存在するものの、イラクの人々の「体温」を感じ取ることはできなかった。
9人が集まったのは5月20日午後10時30分、関西国際空港。私だけ英語が話せず、しかも海外渡航経験もゼロ。その上、ただ一人の喫煙者であったため、冷静に考えずとも形勢は不利。正直なところ足手まといな気もしたが、8人を見た途端、そこには日本人離れした顔が約3つ(誰だ!)あったため、なぜか不安は少なからず払拭されてしまった。
関空からエミレーツ航空に搭乗、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイに到着したのは、翌21日の午後5時45分(日本時間21日午前10時45分)だった。ドバイからは再度、エミレーツ航空でヨルダンの首都・アンマンまでフライト。午後9時15分(同午後3時15分)に到着。
アンマンは周知のように毎日新聞記者が爆弾事件を起こした地である。当然ながら我々も、空港で厳しいチェックを受けた。金属探知機の前には銃を携えた兵士がおり、私は「ベルトを外せ」と高圧的に指示された。
しかしながら、アンマンの一般市民は我々に好意的だった。「ジャパニーズ、グッド」と屈託なく声を掛けてくれる人々もいたほどである。
空港から在ヨルダン日本国大使館に向かった我々は、特命全権大使の小畑紘一から「イラク情勢」を聞いた後、軽い夕食を済ませ、ヨルダン市内のスーパーマーケット「SAFE WAY」でおよそ100本に及ぶミネラルウォーターと食糧を買い込んだ。
翌22日午前2時にGMのRV車3台でアンマンのエルサレムインターナショナルホテルを出発、1,000キロ東の彼方バグダッドを目指した。(敬称略)







| バグダットを爆走している間に太陽が昇ってきた。運転手はヨルダンのイスマイル |
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