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after Saddam〜イラク渡航記 第一章


 
イラク入国は米軍が一元管理。
5月22日午前2時、ヨルダンの首都・アンマンを後にした我々は、3台のRV車でバグダッドを目指した。
バグダットに向かう高速道路を140キロの猛スピードで駆け抜けることおよそ300キロ、ヨルダンのイミグレーションに到着。イラク入国の第一関門である。ここでは多くの乗用車やタクシー、トラックドライバーがヨルダン出国手続きを待ちわびていた。大半はアラブ人で、日本人はもちろん我々だけ。ただ一人の東洋人女性が目を引いた。
これも「アラブ式」なのか、我々のパスポートは入国審査官の机上に長らく放置?されたまま。昼休みにぶっかったこともあり、1時間以上待たされたが、事なきを得た。
再び車に戻ると、右側にテントの大群が見えてきた。この約10キロに及ぶエリアは、ヨルダン、イラクのいずれにも属さない「ノーマンズランド」。この難民キャンプにテントを張る人々は、無政府状態に陥ったイラクから逃れてきたパレスチナ人やクルド人たちだった。中にはヨルダン政府から入国を拒まれ、やむなくテントで暮らす家族もいる。
我々、日本人が物珍しいのか、あるいはカメラに興味があるのか、レンズを向けるとすぐさま子どもたちが「マネー、マネー」と寄って来る。しかし、キャンプの大人は、子どもたちが車にひかれることを危惧し、我々を追い払う。
難民キャンプを抜けると、最大の難所と予測していたイラクへの入国手続き。無政府状態のイラクには、当然ながら公僕はおらず、入国管理はすべて米軍の管轄。米軍の許可が下りなければ、イラク入国は水泡に帰しす。そのため、隊長・日垣隆の提案で、我々は日本出国前から米軍のチェックに備え、ラミネート加工した身分証明書と勤務先などから署名捺印してもらった英文の推薦状を用意し、万全を期した。
ところが、幸いと言うべきか、あっけなくと言っていいのか、米軍のチェックは予想外に簡易なものだった。
ここで図に乗った私、東は車中から“検問風景”を「パシャリ」。即座に米兵から「ノーピクチャー」と怒鳴られたが、あちらは路上の人、車上の我々を追いかけては来なかった。とはいえ、この“検問写真”、ブレまくりでお見せできるシロモノではない。
バグダットまではまだ600キロ以上あるが、イラク入国直後から、高速道路は米軍のミサイル攻撃で橋や路面が破壊されていた。まだ見ぬバグダッドの戦禍が脳裏に浮かんだ。(敬称略)







| 国境にあるヨルダンのイミグレーションには、イラクへ向かう出国者が大勢待機する |
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| 難民キャンプでカメラを構えるとすぐさま子供たちが集まる |
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