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after Saddam〜イラク渡航記 第二章


 
電話は不通。ゴミだらけのバグダッド。
ヨルダンの首都・アンマンから東に1,000キロ。バグダッドにたどり着いたのは、5月22日夕刻。市街は靄でもかかったかのようにオレンジ色に染まっていた。
ヨルダン人運転手のイスマイルによれば、「サウジアラビアから飛んできた砂嵐」がそうさせているのだという。
さすがに暑い。最高気温は摂氏45度にまで達する。あたかも顔にドライヤーの熱風を吹きかけられているかのようだが、幸いにして湿度がさほど高くないことがせめてもの救いだった。
もちろん、バクダッドは初めてだが、路上に簡素な木の台を置いてたばこを売る人や野菜や果物の露店が立ち並び、戦争後、活気を取り戻しつつあることは肌で感じられた。建物の多くは砂漠と同じ色をした日干し煉瓦でつくられ、破壊された建築物や瓦礫の山が戦禍を示していた。
しかし、それ以上に存在感を放っていたのが、ペプシの空き缶や飲み干されたペットボトルなど、ありとあらゆる種類のゴミだった。これだけ大量のゴミが散乱していれば、不快感を抱きそうなものだが、なぜか、バグダットの街自体はあたかも生き物の巨大な胃袋のように、ゴミを喰い漁っているかのように見えてしまうから不思議である。
アンマンから一緒だったイスマイルは、それまで車内に置いていたゴミをバグダッド市内に入るやいなや、窓からポトリ。私の眼には、イスマイルの行為が不快に感ずるというよりも、バグダッドにゴミを喰わせてやっているかのように映った。
UAEのドバイやアンマンの街は、ゴミもなく一種の秩序と整然を漂わせていた。反してバグダットは、散らかるだけ散らかったゴミが、街を演出する小道具のように眼前に迫ってきた。
同時に驚かされたのが、バグダッドの交通事情。自動車の数が多いにもかかわらず、信号はほとんどない。譲り合いなど一切なしで、進路妨害などお構いなし。我先にとアクセルを踏むドライバーたちばかり。常に鳴り響くクラクションは、邪魔者を蹴散らす道具として本来の機能を存分に発揮していた。
バグダッドを走る車の多くは、20年モノのオンボロ。塗装が剥げ落ちた日本車も元気に走っており、その多くは5、6代前の旧モデルばかり。しかも銃弾を打ち込まれ、フロントガラスがひび割れしているケースも珍しくない。これはイラクがクウェート侵攻後、国連から経済制裁を発動されたことと無縁でない。
実際、この国の通貨であるイラクディナール(ID)は、湾岸戦争前の為替レートが3ドルだった。しかし、我々がバグダッドを訪問した時は、1,000IDが1ドル。貨幣価値は10年余りで実に3000分の1まで下落したわけだ。それでも不思議なことに我々がバグダット滞在中、「ID高ドル安」が進んだ。
フセイン政権崩壊で職を失ったイラクの元公務員は、毎月、米軍から20ドルを支給されている。近く消滅するはずのIDは、戦争終結後、新たに発行されず、不足気味。IDはドル支給日に“高騰”し、5月26日は1ドルが1,370IDになっていた。
宿泊先のペトラホテルは度々停電するし、電話局が空爆されたため、市民は電話が使えない状況を強いられている。唯一の通信手段は、新商売として繁盛している様子の衛星携帯電話のレンタル。それでも、この電話を使うのは、我々外国人と祖国が恋しくなった米兵だけ。
私が出会ったイラクの人々は、こうした生活上の支障を不便に思っているそぶりはなかった。
恐らく私はいつになっても理解することなどできないはずだが、イラクの人々の逞しさとその源泉を知りたいと思った。(敬称略)







| バグダッドの白タク。ほとんどのタクシーは、フロントガラスが割れている |
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| 米軍戦車の中。米兵は氷に座って涼んでいた。写真左はペプシ |
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