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after Saddam〜イラク渡航記 第八章


 
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| 隠すこともなさそうな気がする「アニバーサリースクエア」内部 |
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日本人初?ウダイの別荘「夏の宮殿」に侵入。
5月24日、我々はバスを借り切り、バグダッドの北西およそ150キロの街・ティクリートに向かった。ティクリートは、サダム・フセインの生まれ故郷として知られる都市である。
イラクの国内事情に精通する川名昭広によれば、「政権崩壊前までは、外国人が旅行する際、必ず観光省の役人が旅行者に同行する形で監視していたし、外国人はティクリートに入ることさえままならなかった」そうだ。
かつてこの街はチグリス河畔の村に過ぎなかったが、1979年のフセイン政権誕生後から、巨額の公共投資が行われ、軍事施設や大統領宮殿、片側3車線の広大な道路などが建設され、毎年、フセインの誕生日である4月28日には、盛大な祝賀パレードが催されていた。
実際、ティクリート市街に入る手前にあるメインゲート(写真)には、イスラエルばかりか、アメリカを痛く刺激するであろう壁画がある。これは湾岸戦争終結後の1992年8月に復元されたもので、イラク軍がイスラエルにミサイルを打ち込み、侵攻する絵が描かれている。
ここにはフセイン同様、いまだに生死が判明しない長男・ウダイの別荘「夏の宮殿」があった。ジャグジーバスや屋内プールまで備えたこの宮殿は、レーダーでは探知不能のステルス戦闘機によるピンポイント攻撃で破壊され、その後もイラク国民が「アリババ」と呼ぶ略奪者によって、装飾品などが運び去られていた。
ティクリートはイラク国民にとってはもちろん、フセイン政権打倒を目論んだ米英軍にとっても特別な街だった。
事実、この街に駐留する米兵は、暑さとホームシックで弛緩していたバグダッドの青年兵士とは明らかに雰囲気が違った。気軽に言葉など掛けられそうもなく、兵士はピリピリしているのである。
ここには米軍が塀に幕を張ったことで、内部が窺い知れないアニバーサリースクエア(政権崩壊前は競技場)があった。
私は塀をよじ登り、内部を撮影してみたが、運悪くというよりも当然か、米兵に見付かってしまった。すぐさま“危険”を察知した私は、デジタルカメラをズボンのポケットに隠すことができた。
ところが、沖縄の大学生である野添博雅にカメラを隠す場所はなかった。野添が所持していたのは、どこかに隠せるはずもないマニアックな一眼レフ。怒り狂って飛んできた米兵から逃れられるすべはなかった。当然ながら、腰に大きな銃を携える米兵と対峙、瞬時に緊張感と恐怖感がほとばしった。
米兵による“プチ拘束”の「はじまり、はじまり」である。野添のカメラを奪った兵士は、上司に事の次第を報告に行った様子。兵士は我々の前に戻って来るなり、ためらうことなく、カメラからフィルムを抜き取った。
「ペンは剣よりも強し」とは言ったものだが、「やっぱ、銃にはかなわねえやっ」(敬称略)







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| 「夏の宮殿」は屋上から外を眺めれば、リゾート気分を満喫できるが… |
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| チグリス川を渡るバス。対向車は車線をはみ出し膨れ上がった。写真のように、バスは歩道部分を走るはめに。 |
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