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北大・櫻井義秀助教授が語る「北の新宗教」前編


 
医学の進歩、カウンセラー登場が及ぼした影響は。
歴史の浅い北海道だが、ここを発祥地とする新宗教もある。教団誕生から現在まで、新宗教はどのように様変わりしているのか、宗教社会学を専攻する北海道大学大学院の櫻井義秀助教授に聞いた。
以下、櫻井氏との一問一答。
――新興宗教の定義はどのようなものか。
櫻井 学術的には新興宗教と呼ばずに、新宗教と呼んでいる。新宗教は伝統宗教に対して、新しいということだ。時代区分は、江戸時代末期ないし明治初期に成立したもので、金光教、天理教、黒住教など150年以上の歴史を有するものもある。
新宗教で最も新しいのは、ライフスペースやそのメンバーである高橋弘二氏のミイラ事件と言えば、お分かりいただけるだろう。
――北海道は歴史が浅いが、道内を発祥地とする新宗教もあると聞く。
櫻井 道内の新宗教は、本州から布教師が来たり、あるいは伝道されて支部ができたりしたケースがほとんどで、本州にある主だった教団は、大体、道内にもある。創価学会、立正佼成会、霊友会、金光教、天理教、霊波の光、MOA、阿含宗など数え切れない。
だが、北海道を発祥とするものはそれほどない。大所帯は室蘭に本部を持つ天照教、岩見沢の八大龍王大自然愛信教団、江差の八大龍王神八江聖団、深川の加納大霊教院がある。いずれも信者の数は公称5,000から1万人で、道内在住者や本州に移った人、布教された若干の人々である。
――例えば、天照教は室蘭以外の道内各地に支部を持つのか。
櫻井 支部は道内に30カ所弱ある。例えば、盆や例大祭に集まる信者が書いた斎木は、ダンボール箱何十箱にもなる。それだけ、信者がいるということだ。
――信者を増やす上での苦労は。
櫻井 新宗教は戦後の高度成長期に信者を増やした。1960年代、70年代、そしてピークは80年代中盤だ。入信理由は病気治しが多い。その頃は、医学水準が現在のようなものではなかったし、治らない慢性病や診断名すら付かない病気がいくらでもあった。
そういった病気を抱え、医者からも見放された人々が、「拝み屋さん」を訪ね歩き、最終的には、新宗教を信仰しながら自然治癒していったという例が多い。信者がおかげを得たということから、新宗教の信者は徐々に増えていった。
――教団の存在を知らない人が、入信に至る経緯を伺いたい。
櫻井 基本的には「この先生が効く」という口伝えやうわさだ。
こういう話は札幌に住んでいるとあまりわからないが、地方では「効く先生」、俗にいう「拝み屋さん」の情報はそれなりに出てくる。
しかしながら現在はそういう拝み屋さんに代わって、こころの問題、いやしを一手に引き受ける「カウンセラー」が出てきたともいえる。
昔はさまざまな悩みに対する相談事は宗教セクターが引き受けていた。いまはカウンセラーや公的機関が市民相談窓口などを設けているし、病気全般は病院が引き受けるだろう。
ありとあらゆる疾患には病名が付き、宗教の介在する余地がなくなってきた。
一昔前は、家族のトラブル、問題の原因を「因縁」と考えて、儀礼や倫理的な教説で家族関係の改善をはかることが宗教団体でなされていた。今では、適切な養育を受けずに大人になった人たちの問題をアダルト・チルドレンとか、様々なトラウマから説明するやり方が好まれており、もはや、宗教的な説明が、精神医学や心理療法の説明を凌駕することはあり得ない。
だから「拝み屋さん」をルーツとした教団には新しい信者が増えない。
■「拝み屋さん」は、藤田庄市氏の著書「拝み屋さんー霊能祈祷師の世界」弘文堂1990年の用法による。
■櫻井 義秀(さくらい よしひで)氏 1961年4月、山形県上山市生まれの42歳。84年、北海道大学文学部哲学科卒業。87年3月北大大学院文学研究科博士課程中退。北星学園女子短期大学家政学科専任講師、北大文学部講師を経て、96年から同大大学院助教授。専攻は宗教社会学。







| 先祖供養の儀式で熱湯かぶりの荒行をする天照教の泉波希久子教主(櫻井氏提供) |
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関連サイト

櫻井義秀氏HP
http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~n16260/

シリーズ一括読み
http://www.bnn-s.com/news/series_cd66.html






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