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麻原判決に欠けていたメディアの調査報道


03月02日(火) 17時45分
 



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控訴審のスタートまでにも時間が費やされる
 社会の公器がすべき提言は被害者や地域住民、アーレフやその家族の行いうるサポートの検証。

 宗教社会学を専攻する北海道大学大学院・櫻井義秀助教授の寄稿最終回。裁判傍聴記や識者の論評に終始したメディアに欠けていたものとは…。

 昨今のメディア報道は、事件の後追い的報道と識者のコメントの組み合わせで構成されているものが多い。オウム報道も例外ではない。1995年の地下鉄サリン事件以後の数カ月とこの度の1、2週間を比較してもその傾向はあまり変わらない。今でも「理系エリートがなぜ」「日本社会が生み出した矛盾」という単純化された問題と、「心の荒野を見つめよう」といったこれまたアレゴリーに終始する識者のコメントが多い。

 私は1995年当時から、事実に即してオウム問題を見なければ、的確な認識と実効性のある問題解決の方法が提示できないと北海道新聞などに書いてきたし、今なおその感が強い。

 「理系エリート」「優秀な頭脳」と持ち上げ、犯罪の残虐さでその落差をことさらに強調し、そこに洗脳とか、オウムの異常さを指摘するというのが定番であるが、恣意的だ。

 まず、どの宗教集団でもそうだが、信者数の大きな教団ほど、信者の学歴、社会階層の構成は一般社会のそれと似てくる。カリスマの問題とは別に、マネジメントは会社同様にテクノクラートに任せるのが普通になる。中小規模の教団では、先祖祭祀等の各種供養儀礼をメインとしていれば、年齢層は高くなる。

 逆に、オウムのようにニューエイジや精神世界を強調すれば、それに共感する世代として若くなるし、大学卒業者の割合も高くなる。日本の大学進学率(短大含む)はこの10年で45〜49%を推移している。

 次に、私が大学に勤務しているからいうわけではないが、大学生及び大学人がエリートであったのは1960―70年代の学生運動前夜までである。その頃既に大学は大衆化しており、学生達は、ありふれた学生という社会の待遇と残存するエリート意識とのギャップに感じた戸惑いや怒りを、社会体制に向けていったのではないかと教育社会学者の竹内洋氏は回顧している。

 この十数年、どこの大学であろうと、博士課程に在籍していようと、実態として幹部候補生の道も学者の道も保障されてはいない。お受験の類や有名大学合格云々はエントリーを済ませたに過ぎないのである。あとは実力で熾烈な競争に立ち向かうしかない。会社での下積みや研究室での下働きの生活と、時代錯誤的なエリート意識とのギャップに、自己を生かせないという不満から自己実現の場を別のところに求めた人たちも少なくないだろう。

 実行犯に指名された信者達は、その心理を見透かされ、ホーリーネームという地位を与えられ、また信者が持ち込んだ財産からふんだんな資金を得て、様々な活動や研究に従事していたのである。そのこと自体、不幸であり、残念なことだった。世俗的で馬鹿げたことと見えることの蓄積なしには、発明発見も、社会的大事業もないことに気づいてもらいたかった。

 オウムの伸長期はバブル経済の時期であるが、完全に大衆化した学生が好景気の恩恵を受けて生き甲斐と仕事をリンクさせていた時期であった。食うために働く必要がなくなった時代、オウムだけでなく、社会全体が物質的価値よりも精神性を求め始めた時代である。

 精神性・霊性を求めることは一方ではわれわれの生活を豊かにするが、他方では、実体的基盤を持たない空疎な理念に踊らされかねない危険性をはらんでいた。オウムは紛れもなく同時代の日本社会が生み出したものであるが、同時に、現在の日本社会を支えている多くの勤勉な働き手が生まれてきているのである。真理とか、救済とか、大上段に構えた言葉を弄することもなく、仕事の義務と日常的な楽しみで日々を過ごす市民が日本社会の最大多数の構成員である。

 はっきりしていることは、オウムは日本社会の極めてわずかな部分社会であり、オウムが当時も今も日本社会の暗部や諸矛盾、ましてや現代日本人の精神性や心の問題を代表するものではないということである。もちろん、ここからオウム問題と現代社会が完全に切れていると主張するものではない。

 特殊な問題であるという認識に立ち、では、どのような状況や、条件の下で、ある種の傾向を持つ人たちが、この種の教義、教団組織に加入していったのか。なぜ、途中で辞めなかったのかを具体的な相の上で明らかにしなければ、正確な問題の認識はできないということである。そのための調査報道なのであるが、メディアが裁判の傍聴記やオウム情報・評論の論評等に終始しているのは残念である。

 そして、「教祖の裁き――残された幾多の課題」と「『高みの見物』――存続するアーレフに対する“寛容”という名の放任」でも述べているように、問題を認識することと、問題を解決しようとすることの間にはまだ距離がある。ここまで膠着した問題が一朝一夕で解決することはないだろう。そうであれば、現存する教団、信者の家族・関係者、各種の事件の被害者、地域住民として信者と接する自治体への様々なサポートを社会的にどう行いうるのか、社会の公器を自認するメディアは自分の頭で考えて提言していくべきなのではないか。

■櫻井 義秀(さくらい よしひで)氏 1961年4月、山形県上山市生まれの42歳。84年、北海道大学文学部哲学科卒業。87年3月北大大学院文学研究科博士課程中退。北星学園女子短期大学家政学科専任講師、北大文学部講師を経て、96年から同大大学院助教授。専攻は宗教社会学。







関連サイト

櫻井義秀氏HP
http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~n16260/

シリーズ一括読み
http://www.bnn-s.com/news/series_cd135.html






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