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児玉芳明次期社長に聞く「コンサドーレ改革」 前編


 
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| 田中角栄元首相とやり合ったエピソードや社長就任の経緯を語る児玉芳明氏 |
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新聞記者時代は、田中角栄の逆鱗に。
3月25日の株主総会で、コンサドーレ札幌の運営会社「北海道フットボールクラブ」(HFC)の社長に正式就任する児玉芳明氏(68)にチーム運営の課題を聞いた。
――児玉氏には北海道新聞社の記者時代、あの田中角栄元首相とやり合ったというエピソードがあります。
児玉 いやぁ、もう古い話で…。
――有名な話です。
児玉 あれは田中角栄が起訴、勾留されて、その後、目白(田中角栄私邸)に戻っていたのですけども、その時にトウ小平が日本に来て目白邸を訪問したんです。
その時、田中さんはまだ刑事被告人の身分で、国賓としてトウ小平を迎えたわけです。僕はその時、東京社会部のロッキードのスタッフをやっていて、田中さんが即席の記者会見みたいな形で、質問を受けたりしてくれました。
田中さんはまだ力がありましたし、心筋梗塞になる前だったんで、元気は良かったんです。それで、質問する方は、何か聞きたいんだけど聞けないという雰囲気でした。
社会部はなかなか(私邸の)中に入れてもらえなかったのですが、僕はパスがあったもんだから入り、「ひとつ聞きたいんだけど、田中さん、刑事被告人として、国賓を迎える事について、どういう気持ちなのか」っていう風に言ったんです。
それが逆鱗に触れたのか、「だから社会部を入れるなって言ったんだ。お前どこの社だ」って事になり、「北海道新聞だ」と言いました。
で、その間にちょうど秘書だった函館出身の早坂(茂三)が間に入って、引き離されました。その時、二の矢、三の矢を用意していましたが、それを言うタイミングがなくて、そのまま外されてしまいました。
ただそれだけのことで別にどうということはありませんが、そのころは結構、社会部と政治部記者との間に確執みたいなものがあったり、外国人記者との間の確執みたいなものがあり、妙にそういった質問が浮かび上がってしまった。
どうして北海道新聞がそうした質問をしたのか、東京の人は北海道新聞の記者がそういう場面にいる事もあまりよく分かっていなかったと思うので、「北海道新聞っていうのは、そういう風なことを質問する記者がいるんだな」という感じで受け取られました。
――当時、この一件はすごく騒がれました。
児玉 そうですね。そんな事もありましたけど、中川一郎さんには、「なんだ、あそこまで言って、胸ぐらをつかまえて『角さん、あんたそれでいいのか』っていう風に言えばいいんじゃないか」と言われました。
「そんな事できないようじゃだめ。新聞記者失格」とも言われました。確かに中川さんの言うことの方が正しいと思い、中川さんには「申し訳ない」と謝ったけど。
――しばらくの間、児玉氏は「あの田中角栄を怒らせた、あの児玉さんだ」と呼ばれていましたね。
児玉 しかし、あそこまで田中さんが怒るとは思っていませんでした。(質問を)笑い飛ばす、と。「おまえ、そんな事をいま聞くもんじゃないよ」とかね。軽くあしらわれると思ったわけですが、あんなに激怒するっていうことは、やはり(話を)聞いているだけでは分からなかった側面もあります。そういう意味では、聞いてよかったなと思っています。
――そういう質問をストレートにする記者は少ないですね。
児玉 目立ちたがり屋だったのかも知れないですね、もともと。
――政治部ではなく、社会部に所属していたことも聞きやすかった理由ですか。
児玉 それはそうですね。政治部はべったりだったし、政治部の記者から「どうも、児玉と一緒に行きたくないよな」というように思われていました。
――児玉氏は野球をしたり、観戦してきた世代だと思います。サッカー、そしてコンサドーレとの関わりはどのようなものでしたか。
児玉 私たちが中学、高校の頃は、比較的収入の多い家庭の人がサッカーをやっていた。我々みたいに底辺にいる人は、野球小僧。子どもの頃はサッカーをあまりやらず、実際にサッカーに関わったのは道新スポーツに入ってからです。きっかけは、やはりコンサドーレが誕生したことでした。
あのころは今井春雄さん(HFC元会長)が中心になっていて、僕らは株主だったものですから、「こういうことでコンサドーレが良くなるのか」といつも厳しい意見を言い続けていました。(HFCが)30数億もの赤字を出したり、優良選手を連れて来ても、その選手がいなくなると負けてしまう。これでいいのかという思いは常にありました。持株会はいま8,700人ほどの株主がいます。21.6%の筆頭株主で、僕はそういう人たちの代表なので、コンサドーレのお金の使い方に関しては、いままで非常に厳しく批判をしてきました。
佐々木利幸社長が、経費の削減をそれこそ骨を切るところまでやり、3分の1減らし、ようやく経営らしい形になってきました。
――退任される佐々木利幸氏は、HFCの経営が厳しく、腰掛の外国人にステーキを食べさせる余裕はない。選手にはジャガイモとホッケを食べて頑張ってもらう、という主旨の発言をして、サポーターからは「ジャガホッケ社長」と親しまれてきました。
児玉 そうです。だからそういう部分を何とか引き継いでいこうと考えています。
いままで「無駄遣いばかりしてる」と批判をしてきただけに「お前来い」と言われたら、断れない状況です。いまままで批判する側に立っていた分、今度は自分で重荷を背負ってやらざるを得なくなりました。
――HFCの社長に内定した経緯をお聞かせください。
児玉 昨年の秋口まで、僕らは佐々木社長にもう1期(2年)必ずやってもらえると思っていました。
ただ、札幌市から第3セクターの人事の見直しや外部(市の関連団体)に人を出さないなどの方針が出て、市は今年から条例案づくりに入ります。3月に改正されても佐々木さんは、(規定に)該当しないし、結果を残したので、当然2期目もやっていただけると思っていました。
佐々木さんは、札幌市のことを考えて迷っている時期もありましたが、コンサドーレ札幌サポーターズ持株会としては、佐々木さんを支えるということで、上田文雄市長にも、持株会は佐々木さん続投の方針を決めているので、よろしくお願いしますという意思表示をしました。上田さんも、分かったということでした。
佐々木さんは2月の末に肺炎みたいなものを起こし、結構くたびれているような感じがありました。御本人からは2月の初めに「辞めたい」との意思表示があり、後任の人選を筆頭株主の持株会と(HFC副社長の)石水勲さん、それから札幌市で始めました。
実質的には石水さんが人選をやって、経過を持株会その他で聞き、2、3の候補に石水さんが当たりました。ところがそれぞれ理由があって「お引き受けできない」ということでした。
石水さんは3月5日のヴァンフォーレ甲府との試合に行き、その後、上海に行く用事があったため、9日まで帰って来れなかった。3月25日に(HFCの)株主総会を開催するという日程案が決まっており、その1週間前には株主に(議案を)提出する。準備を含め、やはり2週間は必要なので10日がタイムリミットでした。
結果的には、もう(社長を)引き受けてくれる人がいない、時間切れで、「泣く奴はいないか」と、いうことでした。
――社長人事はBNNで記事を掲載した3月9日に決りました。
児玉 9日にホテルオークラ札幌でホリエモン(堀江貴文ライブドア社長)の講演会があり、(HFC監査役の)佐藤良雄さんが千歳に出迎え、また送り返しをして、ものすごく忙しく、佐藤さん、石水さん、(持株会理事長の)伊藤小一さんの3人で、最終的に昼間会って、どうするか決めるという事になっていました。なかなか3人で、話し合いの場につく事ができず、それでも何とか、時間を合わせて、もうどうしようもないから、「児玉は浪人してるし、あいつにやらせよう」ということになりました。
最終的に石水さんから電話があったのは、12時半くらいでした。3人の話し合いの中では、「お前、持株会の代表として(HFCの)非常勤取締役に入っているのだから、当然、こういう状況を看過できないはずだ。だから、社長やれ」と。
そういう風な話と、石水さんの「バックアップするから、頼む」ということで、最終的には支援体制が整い、「私でよければ、お受けします」ということになりました。
――札幌市のOBがHFCの3代目、4代目の社長に就任しています。
児玉 僕らも佐々木さんが社長になる時には、(佐々木氏の前任社長の)田中良明さんから佐々木さんという形、官から官へというのは、どうも好ましくないと思いました。道全体の会社なのに札幌市のOBが社長をしてるていうのはね。道民から見れば絶対に、天下りの形になるので、それは誰が見ても不自然です。ただ、佐々木さんには、非常に実績を残していただいて、会社らしくなりました。
――佐々木氏は社長として高く評価されています。
児玉 そうですね。初めての常勤社長ですから。そういう意味では、本当に佐々木さんはよくやられました。いままで、いろんな人が入ってきました。みんなサッカー好きですが、経営、マネジメントということについては、やってなかったっていうことがあります。
佐々木さんが始めてそういうこと全部に手をつけて、チケットの売り方、報告の取り方、(コンサドーレが目指す)方向性から始まって、社員の名簿づくりなど、土台からやりました。そういう部分で経費を削減したことを含めて大変だったと思います。疲れたということもあるのかもしれませんね。
――佐々木氏は社長を続けることが、かなりしんどいと言われていました。
児玉 そうですか。
――佐々木氏は「もともと1期2年でやめる気持ちがあった」とも言われてました。
児玉 佐々木さんの路線を踏襲しながら、それをどうやって発展させるか、やはりこの1年が勝負だと思います。ここで失敗したらね、もうファンも離れるし、スポンサーも離れます。
――児玉氏がもともといらした北海道新聞の3月10日付朝刊記事には「唐突な佐々木社長退任」、さらには「役員人事をめぐり経営陣内に不一致があった」と、書かれています。これは暗に石水副社長が新設ポストの会長に就任することの是非を示したものですか。
児玉 僕は石水さんの会長就任について、意見の不一致はないと思ってます。
ただ、いろいろと石水さんに対するものが出てきました。(広告を)5,000万円減らしただとか、あるいは選手を連れて(飲み)歩いてるとか。そういうことが少しずつ広がっていました。
こうしたことは、チームが負けると出てきます。チームの勢いが良ければ言われない。しかし、そういう言われ方をすることについては、石水さんも反省しています。
佐々木さんと石水さんとの間でも、そういう事はきちんとしないといけない、と佐々木さんが言って、それは改めようかな、と思ってます。
いま石水さんを社長にすると傷がつく場合が多い。いろいろなことを批判され、それで「白い恋人」が「黒い恋人」になったら…。北海道の財産ですから、当面、やらないということで。石水さんが、石屋製菓の実権を誰かに譲るまでは非常勤の形で協力してもらう。
副社長のポストは非常に曖昧なので、石水さんを代表取締役会長にして、役員報酬を少々であっても払い、責任を持ってもらう形で会長職をお願いしたんです。いろいろな雑誌で書かれているように石水さんが実権を握って、コンサドーレのさまざまなものを仕切るなどということにはならないと思っています。いままでは副社長だから、何をやってもいいってところが若干あったような気がしますが、石水さんは感覚の良い人ですから、何をすれば良いのかをはっきりと分かっています。
役員内部のトラブルだとか、意見の不一致だとか、それが佐々木さんの対応をめぐって、「どうして、佐々木さんが今回、辞めるんだ」という、憶測みたいなものはあります。
しかし、佐々木さんは「今期でもって辞める」と言ってたし、体調も良くない。それでも、評判が良かったから、佐々木さんならもう1期やってもらえるという、そういう気持ちの裏返しから、役員の間で何かあったのではないか、という話なったのではないでしょうか。
――ファンの立場で見ると佐々木社長は辞める必要がない。それなのになぜ、という思いがあったと思います。
児玉 そうですね。
――少なくても、佐々木社長は退任されることを、サバサバと話していました。
児玉 そうでしょう。
以下、後編。
※トウ小平の「トウ」の文字は「登」偏に旁がおおざと。
■児玉芳明氏 北海道新聞社東京支社編集局長、旭川支社長、出版局長などを歴任、1995年から3期6年、道新スポーツ社長を務め、現在、NPO法人札幌微助人(ビスケット)倶楽部会長。







関連サイト

後編
http://www.bnn-s.com/bnn/bnnMain?news_genre=2&news_cd=220011027183






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