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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第5回


 
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| 中共東北人民革命軍の活動地域(原図製作・惠谷治、デザイン・鍵本博子) |
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第1部 金正日の出生の秘密を暴く
第1章 抗日パルチザン時代の金正日の母親の活躍
父・金日成と母・金貞淑の出会い 1934年3月、中国共産党満洲省委員会の指示によって、東満特委(東満洲特別委員会)と各縣の抗日遊撃隊の幹部が延吉縣の三道湾能芝営根拠地で会議を開いた結果、「中共東北人民革命軍第2軍」の設立が決定された。「第1軍」のほうは、すでに1933年9月に成立していた。北朝鮮の「正史」では、この中共東北人民革命軍第2軍が「朝鮮人民革命軍」に変身させられ、その司令官が金日成だったことになっているが、この時点での金日成は、中共東北人民革命軍第2軍に参加した「汪清遊撃隊」を改編した第3団(連隊)第5中隊の指導員に過ぎなかった(和田春樹『金日成と満州抗日戦争』125頁)。ちなみに、金日成は1931年に中国共産党に入党していた。
「わたしが金正淑の名をはじめて聞いたのは、小汪清馬村にいたときである。王隅溝北洞から汪清へやってきた児童団演芸隊員たちのにぎやかなおしゃべりのなかから、尹丙道の名とともに彼女の名がときどき聞かれた。そのあどけない子どもたちは、自分たちの児童指導員に大きな憧れをもっていた。
その後は一時、延吉県児童局長を勤め、汪清県児童局長に転任した李順姫から金正淑のことをよく聞かされたし、尹丙道もときおり彼女のことを話題にした。どこの村へ行っても一人か二人はいる『正淑』というありふれた名前は、こうしてわたしの記憶にとどめられることになった。
人びとの評から察すると、大胆でねばり強く、それでいて気立てがやさしく、人一倍思いやりの深い娘であるということであった」(『世紀とともに』第5巻321頁)
金日成はまだ出会っていない当時の金貞淑について、以上のように書いている。
「わたしが彼女をはじめて知ったのは大荒☆会議があったころです。会議の後か途中だったか、三道湾に行ったことがあります。三道湾は延吉県に属していました。そこの能芝営というところに党書記処があったのですが、彼女はそこで働いていました。能芝営で開かれた書記処の会議の場で彼女に会ったのです」(『世紀とともに』第8巻・平壌版163頁)
中共東満特委が汪清縣で開いた大荒☆会議は、1935年2月27日から3月3日まで開かれており、23歳だった金日成が18歳の金貞淑と初めて会ったときのことを、以上のように金日成は回顧録のなかで証言している。2人の初めての出会いは、1935年3月だった(『朝鮮の母、金正淑』8頁、『金正淑伝』41頁)。しかし、北朝鮮の「正史」と異なり、金日成は実際には大荒☆会議に出席していなかったことは、中国側の史料で証明することができる。
伝記『白あんずの花のように』は作家の想像力を最大限に発揮して、2人最初の出会いを次のように活写している。
「降り積もった雪がまぶしく輝いた日、金日成将軍は部下をともなってこの〔三道湾〕根拠地を訪ね、〈略〉朝鮮革命の主体的路線を堅持することについて具体的に明らかにした。〈略〉この会議の席で、オング地区から帰任した正淑が瞳を輝かせ、懸命にメモをとっていたのは言うまでもない。初めて若く凛々しい将軍にまみえた彼女の感激は、たとえようもなかった」(『白あんずの花のように』104頁)(つづく)
☆は威に山カンムリ 






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