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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第10回


 
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| 金貞淑の戦友で3歳年下の女性隊員だった金善(本名は金順玉)さん。左は撮影年が不明の若かりし頃(『世紀とともに』のグラビアより)、右は1993年に著者が取材した際に撮影した当時73歳の金善さん |
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第1部 金正日の出生の秘密を暴く
第1章 抗日パルチザン時代の金正日の母親の活躍
3人のジョンスギ(貞淑たち) 第1路軍第6師には、3人の同名の「ジョンスギ(貞淑たち)」がいた。『金日成伝』(第1巻238頁)では「金貞淑、許貞淑、李貞淑」となっているが、金日成回顧録では「張正淑、朴正淑、金正淑」と名字が異なっている。部隊のなかで「ジョンスク!」と呼ぶと、3人が同時に返事して混乱するので、3人を区別する綽名で呼ばれていたという。
「戦友たちは『イキの正淑』『青の正淑』『黒の正淑』と呼びわけるようになった。『イキの正淑』こと張正淑は作業や行軍のときよく息をはずませるので、そう呼ばれるようになった。しかしなかには、彼女の行動がいつも生き生きとしていたからそんな愛称がついたのだと言う人もいた。どちらもあたっているようである。朴正淑が『青の正淑』と呼ばれるようになったのは、彼女が遊撃隊に入隊したとき青いチマを着ていたからである。『黒の正淑』という金正淑の呼び名にも同じようないわれがある。彼女は遊撃区で生活していたときも、革命軍に入隊していたときも一張羅の黒いチマを着ていたのである」(『世紀とともに』第5巻321頁)
金日成は、ジョンスギたちの綽名の由来について、以上のように説明している。
しかし、前出の金善は、あるインタビューのなかで似たような話を語っている。
「6師当時、部隊には3人のジョンスクたちがいました。その3人を区別するため、紫のジョンスク、花の貞淑、黒の正淑と呼びわけていたのです。紫のジョンスクは紫色が好きで、花の貞淑は花が好きだったからそう呼ばれ、黒の正淑は髪の毛も瞳を黒かったので、そう呼ばれたのです。その黒の正淑が金日成の夫人で、彼女が出産したのです」(『パルチザン挽歌』290頁)
3人のジョンスギの本名や綽名は混乱しているが、金貞淑が「黒の正淑」と呼ばれていたことだけは一致している。
15歳で抗日パルチザンに参加し、金貞淑より4歳下の炊事隊員だった徐順玉に中国でインタビューした私は、金貞淑の第一印象について尋ねてみた。
「別段、普通の人と同じ印象でした。年齢の関係で私たちは金貞淑を信頼していました。金貞淑の顔は少し浅黒いほうで、ソバカスがありました。私も小さいのですが、金貞淑も背の低い女性でした。当時は、女性を美しいとか美しくないとか、そんなふうに見ることはありませんでした、本当に。ですから、あまり顔立ちに関しては印象はありません。普通の顔でした」
徐順玉は私の質問の意図を察知してか、言葉を濁した。金日成は金貞淑の容貌について、「小づくりで器量も十人なみの平凡な女性隊員」(『世紀とともに』第5巻322頁)と書いている。
戦後、金日成の秘書室長を務めた洪淳寛は、回顧録で次のように証言している。
「金正淑は容貌を見るとそれほどでもない女性であった。外観は幾らか見栄えがあったが、背も小さく顔の色が黒いために後ろでは皆が『黒正淑』と呼んでいた」(洪淳寛「身近に見た金日成」『金日成の遺書』192頁)
こうした証言を総合すると、金正日の母、金貞淑が「黒の貞淑」と綽名されていたのは、金日成が説明したように一張羅の黒いチマ(スカート)ばかりをはいていたからというよりは、黒い瞳、黒髪、そして浅黒い顔だったからというのが真相のようである。(つづく) 






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