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ジャーナリスト・惠谷 治「独裁者の秘密を徹底検証ドキュメンタリー金正日」
独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第24回


03月11日(土) 00時00分
文:惠谷 治 



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中共東北抗日連軍のパルチザンたち。野副討伐隊が作成した『3省治安粛正工作記念写真帳』には、「東北抗日第1路軍警衛旅の一部(匪勢猖獗を極めありし昭和十四年夏共匪の撮影せるもの)」というキャプションが付いている。討伐隊が捕虜にしたパルチザンの所持品のなかにあった写真と思われる
 第1部 金正日の出生の秘密を暴く

 第2章 ソ連逃避行の途上で父母は電撃結婚

 小部隊活動に変更と告げた小哈爾巴嶺会議

 1940年8月初め、金日成は安図縣と敦化縣の境界に横たわる廟嶺(標高734メートル)の敦化縣側にあった密営に姿を現した。現在の吉林省延辺朝鮮自治州、敦化市南方の牡丹嶺山中である。

 「わたしは〔第7連隊政治委員の〕朱在日に小哈爾巴嶺で軍事・政治幹部会議を招集する旨を話し、中隊長、中隊政治指導員以上の軍事・政治幹部を全員集合させるよう指示しました。到着の期限は8月9日、陰暦7月7日までとし、汪清、東寧方面に進出している安吉、崔賢には後日、会議の結果を通報することにし、第13連隊と第14連隊には近くで活動している中隊にだけ連絡せよと命じました。第15連隊からはすでに李竜雲と任哲が到着しているので、あらためて呼び出さないことにしました」(『世紀とともに』第8巻・平壌版16頁)

 今日、北朝鮮の正史では「小哈爾巴嶺会議」と呼ばれ、重要視されているこの会議は、公式年表によれば、1940年8月10日と11日の2日間かれたことになっている。回顧録にある到着期限は、この年表の日付に合わせたものと思われ、なぜか陰暦も付け加えられている。しかし、8月9日の陰暦は7月7日ではなく7月6日であり、伝記作家たちが混乱しながら、苦心して作文した跡が見受けられる。また、実際に金日成が招集できるのは、第2方面軍の幹部たちだけであり、第3方面軍の第13連隊長の崔賢や第14連隊政治委員の安吉たちを招集する権限などなかったのである。

 小哈爾巴嶺会議が開かれた廟嶺は、哈爾巴嶺の西端にあり、金日成は「会議はその嶺の北側のスロープでおこなわれました。前方にはカヤ原がありました」(『世紀とともに』第8巻・平壌版20頁)と具体的に書いている。

 廟嶺の密営において開かれた会議について、女性隊員だった黄順姫は次のように回想している。

 「ここで金日成同志の指導のもとに、歴史的な小哈爾巴嶺会議がひらかれたのである。この会議で、金日成同志は朝鮮の革命運動が当面する国際、国内情勢を明確に分析し、敵の悪らつな大攻勢を破綻させるための新しい対策として、小部隊活動に移る戦略的方針をうちだした」(黄順姫「私たちの父、金日成同志」『朝鮮人民の自由と解放』344頁)

 北朝鮮では、小哈爾巴嶺会議において「大部隊による正面作戦を止め、小部隊による地下活動に移行する」という方針が決定されたことになっている。しかし、すでに、第1路軍では「分散遊撃」を独自決定され、第2路軍と第3路軍は統合して「小組部隊」での活動に移行する方針が打ち出されており、金日成が「小部隊活動」を決定したのではなく、魏拯民からの指令を第2方面軍の幹部たちに伝達しただけで、会議と呼ぶほどのものではなかったと思われる。

 ただ、魏拯民が決定した「負傷したる同志、部隊と同一行動不如意の年長者らを国境安全地帯に送る」という新方針を明らかにして、その方針に従って、第8連隊の医官の林春秋と韓益洙に負傷者と虚弱者を連れてソ連に向かうよう指示したと思われる。

 「小部隊の活動地域と任務を分担した後、わたしは小部隊を率いて延吉方面に進出しました。そのとき金一〔朴徳山〕の率いる小部隊〔旧第8連隊〕には、汪清、東寧一帯で活動する任務を与え、呉白竜の率いる部隊〔旧第7連隊〕には、延吉、安図一帯で越冬用の食糧を調達する任務を与えました」(『世紀とともに』第8巻・平壌版62頁)

 第2方面軍警護中隊機関銃小隊の機関銃副射手だった李乙雪は、手記のなかで「小部隊」の実態について、次のように書いている。

 「金日成同志にひきいられて敦化の深い密林をかきわけ、延吉方面へ行軍することになったわれわれ一行は、わずか20余人の小人数だった」(李乙雪「湿地での出来事」『朝鮮人民の自由と解放』200頁)

 当時19歳だった李乙雪の回想記「湿地での出来事」は、小哈爾巴嶺会議の直後に、金日成が小人数で出発した雰囲気をよく伝えている。ちなみに、警護中隊出身の李乙雪は、1989年には金日成父子を警護する護衛総局長に就任し、90年に国防委員、そして95年には金日成、金正日以外には唯一人の元帥という最高位の軍人にまで出世した。(つづく)







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