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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第28回


 
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| 証言者・徐順玉さん(著者撮影)。金貞淑の戦友で4歳年下の徐順玉さんは、ソ連への逃避行の途上で、金日成と金貞淑の結婚式に立ち会った唯一の女性隊員である。(1993年の取材当時、72歳) |
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第1部 金正日の出生の秘密を暴く
第2章 ソ連逃避行の途上で父母は電撃結婚
金貞淑とともにソ連に脱出した女性隊員 金日成のソ連逃避行に同行した女性隊員が健在であると知ったのは、私が初めて吉林省延辺朝鮮族自治州(旧間島省)の延吉市を訪れた1992年7月のことだった。朝鮮族自治州の州都である延吉市は、当時、韓国資本の流入によって建築ブームとなっており、抗日パルチザン闘争に参加した中共の「老幹部」たちが集まっていた地区も再開発の波に押され、老幹部たちは分散して仮住いを余儀なくされており、短い滞在期間ではその居所をつかむことができかった。
翌93年1月、私はその女性隊員を探す目的で、延吉を再訪した。女性隊員の名前は徐順玉という。聞くと、その女性隊員はソ連に向かう途上で、金日成と金貞淑との結婚式に立ち合っているというのだ。その真偽を確かめるためにも、是非とも彼女に会わなければならない。ちょうど春節(旧正月)前の慌ただしい時期で、私は通訳の女性とともに、その老夫人が住む家を探すため、旧暦の大晦日、寒さに震えながら尋ね歩いて、遂に目的の家に辿り着いたのだった。
徐順玉夫人は市内中心部に近いアパートの2階に住んでいた。徐順玉は1921年に北朝鮮の恵山で生まれ、15歳のときに、中国の長白縣に移り、その年の8月に抗日パルチザンに参加した。そして、東北人民革命軍第2軍第1団3連(第1連隊第3中隊)に配属され、炊事隊員として活動を始めたという。
金日成は徐順玉について、次のように回想している。
「金正淑は徐順玉を非常にかわいがりました。宿営地では、金正淑がいつも自分よりいくつか年下の徐順玉を抱いて寝たものです。そのたびに一枚の毛布を一緒に使ったのです。当時、司令部の近くにいた女子隊員は、金正淑と徐順玉だけでした」(『世紀とともに』第8巻・平壌版167頁)
私は来訪目的を説明したあと、温かいオンドルの上でインタビューを始めた。
----- 先ず、ソ連に向かったときの話をしてくれませんか。
「歳をとってしまいましたから、記憶力が全然なくなってしまって・・・出発したのは1940年の8月でしたが、その日付は分かりません。小部隊で隊員は全部で16人でした。うち女性は、私と金貞淑の2人だけでした。男性では姜渭竜という人がいましたが、今は北朝鮮にいます。この人は金日成の護衛が任務で、機関銃小隊の小隊長でした」
姜渭龍、李乙雪、全文變、崔仁徳、韓昌鳳、金鶴成などが、金日成に同行したことが『朝鮮人民の自由と解放』に記録されている。また、『世紀とともに』第8巻では、金貞淑、徐順玉、李斗益、池鳳孫、金洪洙、孫長春などがいたことが判明している。この他、負傷し逮捕された呂伯岐の後任である尹峻山政治部主任が同行していたことが知られており、16人中13人の隊員名を確認することができる。
----- どこから出発して、何日かかりましたか?
「和龍からです。主としてその一帯で活動していましたから。和龍から歩いてソ連へ向かいました。山を回って行きましたから、1カ月ほどかかったと思います。琿春縣の国境を経由して、ソ連に行ったのです。そのとき、私は若くて、山の名前などは覚えていません」
金日成や金貞淑と行動をともにした徐順玉は、ソ連までのルートについては覚えておらず、出発地は和龍縣だったと語った。金日成たちは安図縣の車厰子を出発して延吉縣の老頭溝に向かっているが、徐順玉証言によって、その道中に和龍縣を通過したと推定される。そして、和龍縣の頭道溝あたりから延吉縣に入り、汪清縣の小汪清を経由して、琿春縣の大荒溝に至ったのではなかろうか。金日成は次のように書いている。
「琿春からは2人の朝鮮の農民がわれわれを案内してくれました。ソ満国境付近まで案内してくれました。彼らは、前方の山を越えれば、ソ連領だと教えてくれました」(『世紀とともに』第8巻・平壌版81頁)(つづく) 






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