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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第30回


 
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| 現在の中国とロシアの国境(吉林省琿春縣側から著者撮影)。現在の中国吉林省の延辺朝鮮族自治州琿春縣からロシアに抜ける唯一のルートは、琿春市から南20kmほどのところにある長嶺子である。写真は左手手前が中国辺防隊(国境警備隊)の監視ポストで中央奥の白い建物がロシア国境警備隊の監視ポストである。この国境を抜けるとロシアのクラスキノという極東の街に至る |
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第1部 金正日の出生の秘密を暴く
第2章 ソ連逃避行の途上で父母は電撃結婚
ソ満国境で赤軍に拘束された金日成 「私たちはそのときに、その向こうが国境ということは全然知りませんでした。いろいろな人が参加して部隊を構成していたんです。心も一つじゃなかったんですね。いろいろ違いました。ですから、全然教えてくれなかったんです。で、国境を越えるときに、そっちがソ連だと教えてくれたのです」
徐順玉は山中を移動しているとき、ソ連に行くとは知らなかった、と語った。金日成が数人の幹部以外に目的地を告げていなかったことは、指揮官としては当然の判断だったと思われる。
「その山を越えてみると、何の標識もない茫々たる広野でした。どこまでが満州で、どこからがソ連なのか見当がつきませんでした。それで李斗益に、高い木に登って川の流れの方向と人家の有無を確認させました。彼は幼いころから木登りが上手だったのです。木のてっぺんまで登って下りてきた彼は、川もなく人家も見えないと言うのでした」(『世紀とともに』第8巻・平壌版81頁)
金日成は、国境付近は「茫々たる広野」だったと書いている。
延辺博物館の金哲洙副館長は、雪帯山からの先のルートに関して、2つが考えられると語った。そのひとつは、馬滴達を経由する南ルート(直線で約20キロ)で、他のひとつは東に向かうルート(直線で約30キロ)が考えられるという。東ルートよりも南ルートのほうが距離も短く、地形的にも容易だが、人家もあり危険だったと思われ、地形的に困難で距離も長いが、安全な東ルートを選んだ可能性があると、金哲洙副館長は語った。他に北ルートという説もあるが、それは後述することにしよう。
「東に向かってもう少し進むうちに、林の中に電話線が伸びているのを発見しました。碍子を見ると中国や朝鮮のものと違っていました。ソ連領に入ったことが実感されましたが、さらに確認して行動しなければなりませんでした。〈略〉翌日、李乙雪と姜渭龍を国境哨所に送って、ソ連の警備隊員を連れてこさせました。いざ警備隊員と向かい合ってみると、言葉が通じなくて往生しました。わたしは彼らに、われわれは朝鮮のパルチザンで、わたしがその隊長の金日成だと何度も繰り返しました。幸いに「パルチザン」や「金日成」という言葉だけは通じたようでした」(『世紀とともに』第8巻・平壌版82頁)
金日成たちがソ連の国境警備隊員に朝鮮語で説明した際、パルチザンという言葉は通じたとしても、キム・イルソンという名前が通じたとはとても思えない。当時、ソ連では金日成の存在など誰も知らなかったからである。
徐順玉は国境を越えたときの様子を、次のように証言した。
「16人全員がソ連の国境を越えたのですが、手続きなんかは全然ありませんでした。私たちは証明書もないのですから、手続きはなにもありませんでした。ただ、ソ連に入ったあと、金日成は誰とも連絡しなかったんです」
国境で金日成たちが事情説明に難渋しているとき、幸運にも知人と出会ったという。
「わたしは国境哨所に待機していたとき、かつて洪範図部隊の通訳であった金承斌に会いました。われわれとソ連側との通訳は彼が受け持ちました。彼は車厰子をよく知っていました」(『世紀とともに』第8巻・平壌版83頁)
しかし、ロシア語ができる金承斌がいくら説明しても、ソ連内務人民部(NKVD)の国家保安総局(GUGB)所属の国境警備隊員は、金日成たち16人を日本軍のスパイではないかと疑い、拘束したのだった。
第1次ハバロフスク会議での決定や、魏拯民の新方針の指示などにより、中共東北抗日連軍の隊員は続々とソ連に入っていった。抗日連軍が入ソする場合、日本のスパイと見なされて取り調べられるのを避けるため、路軍司令部が発行する「越境証」をソ連軍当局に提示することになっていた。「越境証」がない場合、魏拯民が朴徳範に与えたような「ソ連極東赤軍総司令部諸責任者」宛ての紹介状があれば、問題はなかった。
しかし、金日成は上部の許可を得ずに、独断でソ連に向かったため、そうした書類は持参していなかったのである。金日成は国境で拘束された事実を、次のように釈明している。
「ソ連領内に入った後、数日は防疫のため手間どりました。一日中、部屋のなかでなすこともなく過ごすので、隊員たちはみな退屈しきっていました。〈略〉わたしは隊員たちの部屋に行き、そんなにいらいらすることはないとなだめました。-----こうして国境で何日も待機させられるのでがっかりするかもしれない。だが、ソ連の同志たちに冷遇されていると思ってはいけない。国ごとに国境通過規定というものがある。その国境出入秩序にしたがって必要な身元調査をすることもある」(『世紀とともに』第8巻・平壌版82頁)
金日成は「国境通過規定」を無視して、ソ連の国境を越えようとして拘束された理由を「検疫」のためだったと取り繕って書いているが、「何日も待機させられた」部下たちが「いらいらして、がっかりしていた」事実を明らかにしている。(つづく) 






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