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ジャーナリスト・惠谷 治「独裁者の秘密を徹底検証ドキュメンタリー金正日」
独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第34回


04月10日(月) 00時00分
文:惠谷 治 



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逮捕された女性隊員によるデモンストレーション。野副討伐隊が作成した『3省治安粛正工作記念写真帳』のなかには、「反満抗日失地回復を絶叫して我らに向けし銃先、今180度回転させて、なお迷夢の醒めぬ元の同志を照準する昨日の敵--今日の友、東北抗日第1路軍女子軍の一部」という説明があり、スカート姿に制帽の元パルチザンの女性隊員が、討伐隊に鹵獲された武器の操作をデモンストレーションしている珍しいショットである
 第1部 金正日の出生の秘密を暴く

 第3章 1941年に生まれた金日成の子供

 新婚夫婦はいつ入ソしたのか(その4)

 満洲国警務総局特務処特高科が、隔月に発行していた極秘文書『特務彙報』の第4号 (康徳10年、1943年5月15日発行23頁)には、以下のような記録がある。

 『オカヤンスカヤ』に於ける収容状況

第1回、康徳7年(1940年)11月 抗連第1路軍総司令部徐哲以下5、6名、抗連第1路第3方面軍第13団崔賢部隊柳三×、崔春国、黄春×外12、3名、抗連第1路第2方面軍指導員黄光林、同第2方面軍警衛連長池甲龍外負傷者5名、抗連第2路第5軍柴世栄部隊約10名収容。

第2回、同年12月 抗連第1路軍第2方面軍第8団孫長祥、同第3方面軍第13団長崔賢約33名収容。

第3回、同年12月(第2回の収容後より5、6日後)<略>

第4回、同年12月(第3回の収容より約10日後)<略>

第5回、康徳8年(1941年)1月 抗連第1路軍第2方面軍金日成部隊約20名収容。

 (註)金日成は約20名と共に、康徳7年(1940年)12月入蘇したが、当時蘇聨側と無連絡にて入蘇したため、蘇聨側に抑留せられ、一時『ウオロシロフ』の監獄にあったが、抗連第2路軍総指揮周保甲との会見に依って、その身分が明らかとなり、隊員のみは直ちに『オケヤンスカヤ』に送致されたけれども、金日成はそのまま『ウオロシロフ』に残置後『ハバロフスク』に連行され、蘇聨側の取調その他を受けて居った模様である」(東アジア問題研究会編『増補アルバム・謎の金日成』124頁)

 この満洲国特高警察の機密報告では、第2路軍総司令の周保中は「周保甲」と誤記されているが、当時の日本の特務機関は金日成の動静を、リアルタイムではないもののほぼ正確に把握していたことが分かる。

 中共抗日パルチザンの動向を注視していた満洲国特高警察の機密報告では、金日成は12月に入ソしたことになっている。金日成の「12月入ソ」説は、この機密報告と周保中日記の伝聞情報だけであり、中国の半公式文献および金日成の記述から、金日成たちがソ満国境を越えた日付は不明であるものの、11月と判断するのが妥当である。したがって、徐順玉の「8月入ソ」証言は、記憶違いと判断せざるを得ない。しかし、「歩いて1カ月ほどかかった」という徐順玉証言は、10月末に出発したのであれば、「11月入ソ」を裏付ける結果となっている。

 北満からハバロフスクに入っていた周保中や第3路軍総司令の李兆麟は、旧知の金日成がヴォロシロフでGUGBによる取り調べを受けている事実を知ると、1941年1月3日、中ソ連絡員のワシリイ(王新林)宛てに書簡を送り、「検査手続きを完了後、迅速に解放」するよう要請した(『東北抗日聯軍闘争史』445頁)。周保中たちの尽力により容疑が晴れた金日成は、ようやくソ連に入ることが認められた。1941年1月初旬のことである。

 以上まで詳細に検証した結果を整理すると、金日成の入ソの経緯は次のようになる。

 1940年10月末、ソ連に避難するため安図縣の車廠子密営を出発した計16人(金日成、尹峻山、姜渭龍、李乙雪、全文變、崔仁徳、韓昌鳳、金鶴成、李斗益、池鳳孫、金洪洙、孫長春[注]、金貞淑、徐順玉、氏名不詳の2人)は、和龍縣、汪清縣を経由し、琿春縣からソ満国境を越えて、1940年11月に入ソした。

 金日成は「越境証」を持っていなかったため、スパイ容疑で国境哨所において拘束され、数日後、金日成だけがヴォロシロフに移送され、部下たちと離れ離れになった。徐順玉が「ソ連に入ったあと、金日成は誰とも連絡しなかったんです」と語ったのは、この状況を反映したものだった。金日成の部下たちはポシエト近辺のオケアンスカヤ野戦学校に収容され、休息することができたが、金日成だけはヴォロシロフで約1か月間も拘束され、取り調べを受けていた。そして、旧知の周保中たちが身元を保証した結果、1941年1月初旬になってようやくソ連に入ることを認められたのだった。(つづく) 







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