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ジャーナリスト・惠谷 治「独裁者の秘密を徹底検証ドキュメンタリー金正日」
独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第37回


04月19日(水) 00時00分
文:惠谷 治 



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南野営で戦友たちと撮影した記念写真の改竄の経過。左上は1975年に発行された『白頭山』47頁に掲載されたもので、左端の人物の首や姿勢などが不自然であり、偽造されたものであることは一目瞭然である。オリジナル(徐大粛著『金日成』52頁に掲載)は下の4人組の写真で、左から金日成、季青、崔賢、安吉である。オリジナルから季青を消し、左端の金日成を直立させたせのが、右上の写真である(李基奉著『金日成は中国人だった』236頁)。しかし、「首領さま」は中央に大きく置くべきだとして、右端の安吉を反転させて縮小し、左側に立たせた改竄写真(左上)が、平壌の朝鮮革命博物館に堂々と展示されている
 第1部 金正日の出生の秘密を暴く

 第3章 1941年に生まれた金日成の子供

 南野営での記念写真(その1)

 ハバロフスク会議において、中共東北抗日連軍の第1、第2、第3路軍は統合され、新たな「東北抗日連軍総司令部」が組織され、第2路軍総司令の周保中が新たな総司令となった。そして、副総司令は第3路軍総司令の李兆麟、政治委員は満洲で病床にあって不在の南満省委書兼第1路軍副総司令の魏拯民が任命された。

 会議を終えた周保中総司令は金日成らを連れて、1941年2月25日の正午、列車でハバロフスクを発ち、翌日午後9時40分、ヴォロシロフに到着し、そこに3日間滞在した。そして、3月1日午前3時にヴォロシロフを汽車で出発した後、2時間半ほどで南野営に到着し、部隊整列の歓迎を受けた (『東北抗日遊撃日記』573-574頁)。

 「わたしはハバロフスク会議が終わってから南キャンプに行きました。一足先に来ていた〔第3方面軍第13連隊長の〕崔賢が、遠くまで出てきてわたしと同行の戦友たちを迎えてくれました。毛皮のオーバーに毛皮の帽子のわたしをきょとんと見つめていた彼が、どこのジェントルマンかと思ったら金将軍ではないか、と大笑いしたことが思い出されます。彼があまり強く抱き締めたので、息がつまる思いをしました」(『世紀とともに』第8巻・平壌版160頁)

 南野営で金日成を出迎えた崔賢が「金将軍」と呼んだという記述は、あり得ない話であるが、それはともかく、金貞淑が金日成とともに琿春縣から、あるいは金日成と別れて東寧縣(王八☆子)から入ソしていたとしても、1941年1月中旬以後に蛤蟆塘(ハマタン)にあった南野営にいたことだけは確かであり、金貞淑も夫の金日成を熱い想いで出迎えたに違いない。

 金日成は南野営について、次のように回想している。

 「南キャンプから東へ少し行くと、ハバロフスクからウラジオストクに通じる鉄道があり、小さい駅があります。南キャンプに集結した人民革命軍の隊員は、自力で兵舎を増設し、住宅や倉庫、食堂、洗面場なども建てました。兵舎は半壕舎式のものでしたが、現在の人民軍の兵舎のようにベッドは二段式になっていました。あのとき隊員たちは建設工事でだいぶ苦労しました。兵舎の前には、広々とした運動場もありました」(『世紀とともに』第8巻・平壌版161頁)

 南野営に収容されていたのは架空部隊の朝鮮人民革命軍ではなく、東北抗日連軍第1路軍と第2路軍の一部(第5軍)の隊員たちだった。南野営があった蛤蟆塘(ハマタン)は「ブスイロフ」という地名だったという情報もあるが(朝鮮族ネット『朝鮮族近現代史』)、地図で確認することができない。シベリア鉄道にはヴォロシロフ駅から終点ウラジオストク駅に向かって、バネヴロヴォ、ワラノフスキイ、ラズドリノエ、キパリソヴォ、ナデジンスカヤ、アムルスキイ・ザリーフという小さな駅が続くが、残念ながら今のところ、ハマタンの最寄り駅がどこなのかも不明である。

 金日成は回顧録のなかで「小部隊を率いて出発する準備をしていたある日」と日付を曖昧にするという手法で、南野営に到着した当日の出来事について書いている。

 「わたしが小部隊を率いて出発する準備をしていたある日、戦友たちがやってきて写真を撮ろうと言うのでした。小部隊の工作に出かければいつまた会えるか分からないから、写真を撮って記念に残そう、カメラは手に入れてきたから、金将軍は顔だけ貸してくれればいい、と言うのです。軍服を着て外に出ると、崔賢がわたしを待っていました。まだ肌寒くはありましたが、あたりには春の気配がはっきりと感じられるころでした。わたしは春の水気を含みはじめた樹木にもたれて、戦友と写真を撮りました。久しぶりに南キャンプで再会した記念、会ってはまた別れる小部隊の記念でもありました。他の戦友も二人、三人と組になって写真を撮りました」(『世紀とともに』第8巻・平壌版175頁)

 このときの写真は平壌の朝鮮革命博物館に展示されているが、4人で写った写真を切り刻んで、3人での記念写真に改竄されているが、その修正技術はあまりにも稚拙である(掲載写真参照)。(つづく)

☆は月へんに勃の左の字







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