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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第38回


 
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| 金日成が「結婚記念写真」という南野営でのツーショット。「この写真は南キャンプにいたころ撮ったものです。ここをBキャンプとも呼んでいました。そこで一冬を過ごしてから、わたしは再び満州と国内に進出して小部隊活動をくりひろげました」(『世紀とともに』第8巻・平壌版160頁)と金日成は書いている。この写真プリントの裏(右の写真)には「他郷で春を迎え、1941・3・1 B野営にて」とハングルで書かれてあり、撮影地点と日付が確認できる唯一の写真で、珍しく修正された形跡もない。しかし、ジンチャク(人工着色)されたカラー版が存在する。この時点では金日成はまだ赤軍大尉ではなく、ソ連軍の襟章は付けていない |
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第1部 金正日の出生の秘密を暴く
第3章 1941年に生まれた金日成の子供<
南野営で撮影された記念写真(その2) 金日成が回顧録で「小部隊を率いて出発する準備をしていたある日」と書いている日は、蛤蟆塘(ハマタン)の南野営に到着した当日のことであり、金日成・金貞淑夫妻が南野営ににいたことを確認できる重要な日なので、金日成の回想をもう少し引用する。
「そこへ誰に聞いたのか、数名の女子隊員が駆けつけ、自分たちも撮ってほしいと言うのでした。それで女子隊員たちとも何枚か撮ったのですが、彼女らはわたしと金正淑に、2人で撮るよう勧めるのでした。それを聞いて金正淑ははにかみ、女子隊員たちの後ろに隠れてしまいました。女子隊員たちは無理やり彼女を前に押し出しました。正淑は照れてどうしてよいか分からないありさまでした。戦友たちにしきりに押された正淑は、仕方なく笑みをたたえてわたしのそばに立ちました。その瞬間を逃さず、シャッターが切られました。わたしの一生で、女性の戦友と個別写真を撮ったのはこれがはじめてだと思います。わたしと金正淑にとって、これは結婚記念写真ともいえるものでした。
当時はわれわれも血気盛んな青年でした。夢も多く、笑いも多いころでした。他郷で迎えた春でしたが、みな確信にあふれ、意気込みも盛んでした。わたしと正淑にとっては、結婚後はじめて迎える忘れがたい春でした。わたしはその春を永遠に記念しようと、写真の裏に、『他郷で春を迎え、1941・3・1 B野営にて』と記しました」(『世紀とともに』第8巻・平壌版175頁)
1941年3月1日に撮影され、金日成が「結婚記念写真」と呼んでいる貴重なツーショットは、さまざまな文献に紹介されており、写真の裏にハングルで書かれた「他郷で春を迎え、1941・3・1B野営にて」というメモも、写真集などで確認することができる。28歳だった金日成はこの日、南野営(B野営)で23歳を迎えた新妻の金貞淑と、数カ月ぶりに再会したのだった。写真のなかの2人は、幸せそうに微笑んでおり、北朝鮮が公表している写真にしては珍しく修正の跡がない(掲載写真参照)。
南野営を訪れた周保中総司令は、同行してきた金策(北満省委書記)、柴世栄(第5軍長)、季青(第5軍政治部主任)、徐哲(第1路軍軍医処長)、そして金日成らとともに、3月5日から11日までの7日間、南野営で会議を開いた。
満洲国特高警察による機密報告は、南野営での会議の内容を次のように記録している。
「在ソ抗連匪団の改編状況
康徳8年(1941年)2月、抗連第2路軍総指揮周保中の案内にて「オカアンスカヤ」に収容された金日成、柴世栄、季青、徐哲、安尚吉等の匪団幹部は、それぞれ「ウオロシロフ」「ハバロフスク」方面にて相当の教育あるいは指令を受けたものの如く、収容後間もなく金日成が中心となり、今後の活動に処するため部隊の改編を企て、北満部隊の例にならい支隊制を採り、抗連第1路軍関係者をもって第1支隊を編成、第1支隊長を金日成、同参謀長を安尚吉とし、抗連第5軍系を以て第5支隊を編成、第5支隊長を柴世栄、同政治委に季青を充てることにした」(『特務彙報』第4号。1943年5月15日付)
この情報がほぼ正確であることは、中国側の文献でも確認することができる。当時の日本の諜報能力には驚嘆せざるをえない。
南野営での会議では南野営党委員会が設立されることになり、南野営党委書記に季青、委員には柴世栄、金日成、朴徳山、委員候補は崔賢と金潤浩が選出された。そして、ハバロフスク会議の決定に基づいて、第1路軍の越境部隊を「第1支隊」に改編し、金日成を支隊長、伊俊山を政治委員、安吉を参謀長に任命した。また、南野営に収容された第2路軍第5軍を「第5支隊」として、支隊長は柴世栄、政治委員を季青とした。
一方、満洲の吉林、通化、間島3省における「東辺道治安粛正特別工作」によって「抗日共産匪」の討伐に全力を注いでいた関東軍の野副討伐隊は、1940年秋にはシシ(崔賢)とウマ(安吉)は入ソしたと推測していたが、トラ(金日成)も1940年末までに入ソしたものとの最終判断を下し、1941年3月19日、討伐隊を解散した。南野営会議が終了した8日後のことである。(つづく) 






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シリーズ一括読み
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