BNN [Brain News Network]

携帯からBNN[BNN携帯サイトへ]
RSS

記事検索


今すぐ!!北海道のニュースサイト
HOME ニュース スポンサー一覧



ニュース 過去の記事一覧
恵庭OL殺人事件 最高裁提出「上告理由書」 vol.7


06月10日(土) 10時05分
文:東  



写真拡大

大越美奈子被告(左)と橋向香さん
 検察官が秘匿していた豚の燃焼実験結果。

 平成12年3月17日、苫小牧市に住むOL・橋向香さん(当時24)が、恵庭市北島の市道脇で焼死体となって発見された恵庭OL殺人事件。

 この事件で逮捕、起訴されたのは、被害者橋向さんの同僚で日本通運札幌東支店キリンビール千歳工場内構内課に勤務していた大越美奈子被告(35)だった。

 15年3月、札幌地裁の遠藤和正裁判長は、殺人と死体損壊の罪に問われた被告に対し「被告人単独で被害者を殺害、死体を焼損したことは、合理的な疑いを挟む余地なく認定できる」として、懲役16年(求刑・懲役18年)の判決を宣告した。

 捜査段階から一貫して無実を主張してきた被告は、1審判決を不服とし、札幌高裁に控訴。控訴審はおよそ1年半にわたり開かれた。

 昨年9月29日、札幌高裁(長島孝太郎裁判長)は1審・札幌地裁判決を支持、控訴を棄却。被告は即日、上告。弁護団は提出期限である今年3月6日、最高裁に上告趣意書(上告理由書)を提出した。

 以下、上告理由書のvol.7。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

3.被告人が事件の直前に灯油を購入し、事件後灯油を再購入している事実(前記5)

(1) 被害者の遺体の焼損に用いられた燃料が「灯油」であることは証明されていない―被告人の犯人性を否定する決定的事実

ア.検察官は、「被告人が、被害者の遺体に灯油をかけて火を放ち、もって死体を損壊した」として被告人を起訴した。したがって、第1段階の推論において、検察官は、被害者遺体の焼損に用いられた燃料が灯油であることを、合理的な疑いを容れない程度に立証しなければならないのである。

 ところが、一審判決や原審が認めているとおり(原審13頁)、被害者の遺体を焼損した燃料が、灯油であるか灯油系航空機燃料であるのかは不明である。もし、当燃料が灯油系航空機燃料であるならば、本件事件発生現場に近接する自衛隊関係者なら航空機燃料を容易に入手できるとはいえ、被告人が入手することは全く不可能である。したがって、死体焼損の燃料が「不明」であることは、立証責任の分配の論理からいって、本件死体損壊について「被告人は無罪」とならなければならないはずである。

イ.なぜなら、検察官は、「死体の焼損に使用した燃料が灯油であること」を立証していないからである。この重要な反対事実(本件燃料は灯油でない)の可能性を否定できない限り、長坂町放火事件(vol.2参照)等の最高裁判例によっても、被告人は本件死体損壊罪については「無罪」とならなければならない。たとえ、前述の石井説(同参照)の立場に立つとしても、「被害者の死体焼損に使用した燃料が航空燃料である可能性」は、自衛隊基地に近い現場から鑑みて十分にあり得ることであって、その可能性には合理性があるから、焼損の燃料が灯油であるか否かは「確信的判断」に立って認定しなければならないのであって、原審のように、「いずれかは不明」と認定しながら、他の証明力の薄い証拠を羅列して「有罪」に導いた推論は、明らかに不合理である。

(2) 仮に灯油であったとしても、10リットルでは、被害者遺体のような炭化状態には至らない

ア.仮に万歩譲って、被害者遺体の損傷に用いた燃料が灯油であったとしても、灯油10リットルでは、被害者遺体のような炭化状態に至らないことは明白であり、この間接事実は、被告人の犯人性を否定する重要な消極的情況証拠(間接事実)である。

 前述したように、被告人を有罪とするには、検察官は、「10リットルの灯油を用いれば被害者遺体のような炭化状態に至る」ことについて、合理的な疑いを差し挟まない程度に立証しなければならない。ところが、検察官は、本裁判において、被告人が所持していた灯油が10リットルであったことにしか立証していない。10リットルの灯油による焼損で、被害者の遺体のように炭化状態に至ることは全く立証されていないのである。

イ.警察官は、前記事実を立証するために豚の燃焼実験結果を行っている。しかし、その結果、被害者の遺体のような炭化状態には至らなかったため、検察官はその実験結果の存在をひたすら秘匿し、弁護人が再三にわたって証拠開示請求を行ったにもかかわらず、開示を拒否し続けた。

 他方、弁護人は、弁護人らが豚を用いて行った燃焼実験と弁護人八十島保証人に対する証人尋問によって、灯油10リットルでは被害者遺体のような炭化状態には至らない事実を明らかにした。しかも、その後、検察官が秘匿していた警察官による豚の燃焼実験結果を記した捜査報告書が、原審裁判官の勧告により、証拠として提出されたが、その捜査報告書によれば、実験結果は弁護人らの燃焼実験と全く同じ結果であった。検察官と弁護人の検証結果が全く一致したのである。

ウ.そこで、検察官は、灯油10リットルでは被害者遺体のような炭化状態にならない事実は被告人の犯人性を否定する決定的な間接証拠となることから、上記実験結果を記した捜査報告書の開示を拒み続け、灯油10リットルで被害者の遺体のような炭化状態となることについては、立証活動を全く行わなかったのである。

エ.被告人は、3月16日未明に購入した10リットルの灯油しか入手していない。被害者遺体の焼損に用いた燃料が灯油であっても、被害者遺体のような炭化状態に至るためには、優に10リットルを超える灯油が必要なのであり、したがって、被告人が灯油を10リットルしか購入していない事実は、かえって、被告人が犯人でないことを証明する決定的な消極的間接事実なのである。

(3) 原審の非科学的な論理展開

ア.以上、1、2に述べた理由から、本件死体損壊における被告人の犯人性は認定できないことになる。そうとなれば、「死体損壊」が「殺人」の重要な間接事実である以上、「殺人」も認定できないことになり、したがって、被告人はいずれの犯罪についても「無罪」になるはずである。ところが、原審はそのような推論を行わず、被告人を「有罪」と認定したのである。その原審の推論過程を詳細に見ていくと、原審裁判官は、検察官の立証の不備を十分に知りながら、それを自ら補完して、有罪認定を導いたことが如実に窺えるのである。

イ.前述したように、原審は、科学的鑑定結果から見て、被害者遺体の焼損に用いられた燃料が灯油であるか否かは「不明である」と認定した(13頁)。通常なら、この段階で、「被告人は犯人ではない」という認定をしなければならないはずである。

 にもかかわらず、原審は、本件燃料が灯油であるか否かは不明であると認定しながら、一方で、被告人が灯油を捨てたことさらに再購入したことなどに関する被告人の弁解について、「信じ難い」、「不自然」、「甚だ不可解」、「不自然かつ不合理」、「虚偽の供述をした」などと評価して、これを理由にいきなり論理を飛躍させ、「被告人は3月16日購入した灯油を用いて被害者を焼損したことを強く疑わせており、これも被告人の犯人性を示す間接事実であるとの結論を導いているのである(13ないし15頁)。

ウ.本件死体焼損の燃料が灯油か否かは客観的証拠により決定されるべき事実であって、被告人の供述が信用できるかどうかという主観的事情により左右される事実ではない。被告人の灯油の投棄や再購入に関する各供述は、「通常人」を基準にして見るならば、非合理的で腑に落ちない点があることは否めない。しかし、被告人の供述が非合理的で腑に落ちないことと、被害者遺体の焼損に用いられた燃料が灯油であるか否かとは全く関係のない別問題である。原審が、客観的証拠により決定されるべき要証事実を、被告人の供述の信用性その他の主観的事情によって認定したこと自体、証拠法上、許されないことである。

 ところが、原審は、本件死体損壊に使用された燃料が灯油であるか否かという科学的判断を、被告人の供述の信用性に係らせるという重大な誤りを犯しているのである。つまり、原審は、一見客観的な論理構造を取っているかに見えるが、「死体焼損の燃料が灯油であるか否か」の事実認定において、「被告人の弁解が甚だ不可解で腑に落ちない」という理由から、「被告人が所持していた灯油で死体焼損したことを強く窺わせる」として、「被告人は犯人である」という結論を導いているのである。科学的、客観的証拠から判断されるべき燃料の成分について、「被告人の弁解の不可解性」を根拠にして、その成分を「灯油」と認定したものであり、原審の推論が誤っていることは一見して明白である。

 原審裁判官は検察官が死体焼損の燃料について立証することができなかったため、検察官の立証の失敗を補完するため、本件燃料が灯油であるか否かの要証事実に関して、被告人の供述の信用性に絡ませて、「総合判断」により認定するという誤りをしてしまったものである。このような事実認定が、刑事訴訟法上許されないことは明白である。

4.被告人の供述の不合理性について(前記5及び8)

(1) 「灯油」に関する被告人の供述の不合理性

ア.原審の判示

1 被告人は「被害者が殺害された後、職場の運転手から『警察がお前の写真を持ってガソリンスタンドの聞き込みをしている。お前が犯人だったんだな』と言われ、灯油を持っているのが怖くなり、千歳市から早来町に向かう途中の市営牧場の手前道路脇にポリタンクごと投棄したが、その翌日ころには、これが存在しないとかえって怪しまれると思い、4月1日ころポリタンク入りの灯油10リットルを再購入し、社宅に運び入れた」などと供述する。

2 しかし、真実自分が事件に無関係であれば、当時、犯人として疑われていたのであればなおさら、その灯油を持っていることこそが疑いを晴らす一番の方法であったのに、そのことに思い至らず、なぜそれをわざわざ捨てなければならなかったのか甚だ不可解である。

3 翌日であれば見つけることも可能で、当時探すことに支障があったとも思わないのに、捨てたポリタンクを探そうともせずに灯油を買い直したというのも不自然不合理である。

4 しかも、被告人はそれを誰にも話さなかったばかりか、弁護人に対して虚偽の供述をし、その後8月か9月ころになってようやく、3月16日に買った灯油を捨てて買い直した旨供述したものである。

5 それが虚偽であればかえって自分が疑われることは容易に分ることであり、真実捨てたとすれば、上記のとおり、自ら探すなり、弁護人にその旨言うのが通常であり、甚だ不自然である。

6 真実は灯油を買い直しながら、弁護人に対しても虚偽の言動に出ていることは、灯油を捨てた旨の供述が虚偽であること、そして、真実はその灯油を被害者の焼損に用いたのではないかとの疑いを強く抱かせるのもである。

イ.原判決の推論の問題点

(ア) 要するに、原判決の所論は、現時点に立って、被告人のその当時の行動を考えた場合、論理的な合理性がなく、甚だ不可解ないし不自然・不合理であるというものである。しかし、原審の判決は、大きな誤りを犯しているものである。なぜなら、人間の行動を判断する場合、その行為が行われた時点、当時の周囲の状況、当時の本人の精神状況に立ち返って、その行為の相当性を判断するべきだからである。

(イ) 被告人が灯油を捨てたのは、「3月下旬に会社事務所で受付業務をしていたときに、ドライバーの人から、警察の人が被告人の写真を持って、千歳市内じゅうのスタンドを、この写真の子が灯油のポリタンクを持って灯油を買いにこなかったかと聞いて歩いているぞと、おまえ犯人だったんだなと言われて、灯油を持っていることが怖くなってしまったんで、会社の帰りに灯油のポリタンクを捨てた」と言うものである(第22回公判 被告人尋問調書14〜22頁)。

 被告人は、ドライバーの言葉を聞いて、「ショック」を受けて(同調書18頁)「発作的に」灯油を捨てた時の状況を、次のように供述している。

 検察官 「あなたの方としては別に、橋向さんを殺害したり死体を燃やした犯人ではなかったわけだから、ドライバーの人から先ほどのようなことを言われても、別にじたばたする必要なかったわけだし、もし警察のほうから事情を聞かれれば、I木材(※)の社宅を片付けるために、セイコーマートで灯油のポリタンクを購入したんですと、こういうことを説明すれば足りるとは考えなかったんですか」

 被告人 「…その時は、マスコミの間に私の名前が実名として出ているということも聞いた後だったので、…その灯油を持っていることが怖くなってしまい、発作的に捨ててしまいました」(以上第22回公判調書20頁)

 検察官 「そのドライバーから言われたときも、あなたが手元にこのセイコーマートで買った灯油のポリタンクを持っていることが、何よりもあなたが3月16日に灯油なんか使っていないことの最大の証明になることだったんですよね」

 被告人 「今考えれば、そう思います」

 検察官 「そんなことを、捨てる前に考えられなかったんですか」

 被告人 「考えられなかったんで、捨ててしまったんだと思います」(以上同調書21頁)

 被告人は、ドライバーの言葉に「ショック」を受け、灯油の存在が「自分の無実を証明する唯一の証拠である」ことなどを全く考えず、「発作的に」捨ててしまったのである。

(ウ) 上記事実は、次に述べるように、むしろ、被告人の無実を表しているとも言える。

 すなわち、この当時、被告人は「自分が、被害者を殺害し、その死体を焼いたという犯罪で犯人とされている事実」を現実感を持って認識することはできなかったのである。

 被告人は、警察官が「灯油の購入先」を探し回っていると聞いて、当の灯油が自分の手元にあれば犯人とされてしまうと短絡的に考えてしまい、「灯油」に反応してしまったため、会社からの帰途、発作的にその灯油を捨ててしまったのである。

(エ) もし、被告人が犯人であったなら、当日の時点においては、その犯行の記憶がまざまざと残っているはずだから、ドライバーの話を聞いて「灯油を用いて死体を焼いた犯罪行為」を現実感を持って想起したであろう。また、その灯油を捨てることが、いかに自分に不利になるかを現実的に認識することができたであろう。ところが、被告人は無実であるために、自分が「殺人」「死体損壊」の犯人とされることに現実感を持って反応することができなかった。それ故、問題の「灯油」と「死体損壊」とが結びつかず、「灯油を捨てる」という全く自分にとって不利な行為を発作的にとってしまったのである。

ウ.犯罪心理学者の指摘

 この点に関連することであるが、犯罪心理学者の浜田寿美男氏は「人はなぜ、虚偽の自白をするのか」について、以下のとおり著述している。

 「実際に問題の犯罪を犯した犯人ならば、その犯行の記憶がまざまざと残っている。自分はいま逮捕され、身柄を押えられて、取り調べを受けているのだということを、まさに自分の現実として、現実感をもって受けとめることができる。有罪者のほうが、かえって明確な現実感のなかで自白への抵抗力は強い。無実の人間ならばどうであろうか。自分が問題とされている犯罪もやっていないのに逮捕され、厳しい取り調べを受けていること自体が非現実的なことである。ここで自白をすれば、有罪にされて刑罰を受けるかもしれない、死刑になるかもしれないということは、理屈ではわかっても、それを現実感をもって受けとめることができない。なにしろ自分はやっていないのであるから、その自分がどうして刑罰を受けることがあろうかと思ってしまう。自分はやっていないという確信のゆえに、かえって自白への抵抗感は弱くなる。この逆説に人々は案外気づいていない」(NHK BOOKS 浜田寿美男著『<うそ>を見抜く心理学〜「供述の世界から」』84頁)

(2) 「動機」に関する被告人の供述(弁解)の不自然性ないし虚偽性(同18頁〜22頁)

ア.原審の判示

(ア) 被告人は、「A(※)との結婚を意識したことはなく、被害者に架けた電話は、Aが携帯電話を紛失中であったためにAに向けられた感情を本人にぶつけることもできず、被害者に向けて自分でも説明のできないような行動をとってしまった結果、被害者への嫌がらせ電話ではない。被告人も、Aと結婚を意識したことはなく、別れることになるであろうと思っていた。被害者に電話をした最初はAと被害者が会っているのではないかとの疑念がありそれを確かめるためであった。その後は精神的に不安定な状態となり、無意識のうちにリダイヤルボタンを押してしまったもので、被害者に対する嫌がらせの気持ちはなかった」旨供述した。

(イ) しかし、原審は、上記の供述には以下に示すような疑問が残るとして、被告人の供述の信用性を否定した。

1 結婚を意識してもいないAへの感情が、なぜ被害者に向けられることになるのか、不可解である。

2 別れることになると思っていたAが被害者と会っているような場面を見ただけで、どうして被害者に電話したことを認識できないほど不安定な精神状態に陥ってしまうのか、全く不可解である。

3 被告人は、運転中の車内や出社直前、またはJ(※)と会っている際にも被害者に電話しており、無意識に行われたというのはどう見ても不自然である。

4 被告人は、当審公判廷で、「結婚したいと思っていたのはAと付き合う前に交際していた男性であった、その人に迷惑がかかると思い原審では言うことはできなかった」旨供述するが、原審段階でもAに対する結婚の意識の有無が大きな争点であり、迷惑をかけたくなかったとの理由で述べなかったというのはやはり不自然である。

5 上記のような被告人の弁解の不自然性ないし虚偽性、そして、被告人は、被害者に無言電話を架けたことが自分が犯人と疑われる理由になるとは思っていなかったと言いながら、弁護人に対し、しばらくの間そのことを否定したり、打ち明けていないことなどの事実に照らせば、これは十分殺害の動機となりうるものである。

イ 原判決の推論の問題点

(ア) 確かに、被告人は、弁護人に対して、被害者の携帯電話に多数回のリダイヤル電話を架けていたこと、灯油を捨てて買い直したことを、同年9月まで告げないでいた。ただし、積極的に虚偽の事実を告げていたわけではなく、1回目の灯油購入後の事実(灯油の投棄と再購入)を告げなかっただけである。合理的に考えるならば、灯油を捨てたことは後の裁判で必ず問題になることであり、弁護人に隠していることは非常に不利なことであるにもかかわらず、被告人にとっては「死体損壊」という犯罪事実に対して全く現実感が持ってなかったために、このような非合理性に気づかなかったのである。

(イ) しかし、人間は、常に合理的に行動するものではないし、自分の行動について、全てを合理的に説明できるものでもない。ましてや、男と女の恋愛や失恋という「不条理な人間関係」においては、男と女の心理は「合理性」をものさしとしてはおよそ推し量れないものである。恋愛における男と女の心理の交錯は「合理性」からは程遠いもので、「最も非合理」な世界である。このような男と女の不条理な関係での心理を推し量るのに、原審は「合理性」を尺度にして、「被告人の行動は不可解である」とか、「不自然である」とかの認定をするという過ちを犯しているのである。

 被告人は、地方のしかも閉鎖的な町で生活し、家庭においても年老いた両親と3人で生活していた。被告人の生活は、家庭と会社、それに親代わりであったK夫婦(※)とその時々の「男友達」が全てであり、本当の自分らしく振舞えるのは、自分の車の中だけであった。被告人の元の恋人であるL(※)の家庭は、父親が町会議員であり、床屋というサービス業を営んでいたものである。被告人は、一審の時、「自分は殺人などやっていないから、必ず無罪になる」と信じ込んでいたために、狭い閉鎖的な町に住む者として、「これ以上、Lをこの事件に巻き込みたくない」と考えたのもこれまた当然であって、原審の判示は、現時点に立っての「後付け」の理屈でしかない。

(ウ)地方都市に生活する若者の多くがそうであるように、被告人にとっても「自分に戻れる場」としての自動車というのは必須アイテムであり、仕事を終えた後には、深夜まであてもなく車を走らせていた。

 会社においても家庭においても、また人間関係においても、被告人は「真面目でしっかりした人」、「頼れる人」としての役割を担わされてきた。そうした役割への反動が、自室の乱雑さであり、深夜の自動車による徘徊でもあった。

 しかし、真実の被告人は、むしろ、人に甘えたり頼りたい傾向が強く、きわめて小心な人間であった。それ故、頼れる存在としてAを慕っていたのであり、また、被害者に無言電話を架けては呼び出音が鳴る前に切っていたのである。また、被害者に無言電話を架けては呼び出音が鳴る前に切っていたのである。本件が発覚後、被告人が購入した灯油を投棄し、再度購入したのも、その小心な性格がよく表れているのである。

(3) 小括

 刑事裁判は、証拠に基づいて事実を認定し、罪責を判断する作業であり、被告人の人間性を裁くものでは断じてない。男女の恋愛や失恋における人間の心の真実は、合理性を越えたところにあるのであって、原審のように、この不条理な男女関係における心理を、現在の、しかも第三者の視点に立って、「合理性の尺度」で判断した原判決の推論は失当である。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 以下、次回に続く。

(※)Jは被告人の友人の女性(※)Kはかつて被告人が習字を教えてもらっていた早来町(現・安平町)居住の夫婦(※)Lは、被告人がAと付き合う前に交際していた男性







関連サイト

シリーズ一括読み
http://www.bnn-s.com/bnns/series/seriesList.jsp?series_cd=13






このページのTOPへ




WEBアンケート
シリーズ一括読み

お天気WEB Hokkaido

Google

有料会員ログイン

有料会員登録

会社概要
プライバシー・ポリシー
ご意見・お問い合わせ
BNN市民記者募集
メルマガ登録・解除
リンク集

当サイトは、リンクフリーです。バナーが必要な方は下のバナーをお使いください

北海道ニュース BNN [Brain News Network]



HOME | ニュース | 札幌市政 | 女性の視点 | スポーツ | BNN-TV | 催事・生活情報 | スポンサー一覧
Copyright(c) Brain News Network [BNN] Co.,ltd.All Rights Reserved.