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元日本陸軍総特攻兵長・菅原茂が憤怒する「無様すぎる今の日本」 前編


07月07日(金) 03時20分
文:東  



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2004年に刊行した著書「戦火なき世界をめざし 特攻(ぶっとび)人生」
 最後の命令は爆撃機「呑龍」で米軍艦船に突っ込む総特攻。

 「小泉のガキ、ブッシュのバカ野郎、ブレアの小僧」――元日本陸軍総特攻飛行兵長にして平和活動家の菅原茂(79)は、イラク戦争を仕掛け、それに追従した日米英の首脳をそう一刀両断する。その理由を「痛みを知らない非情な輩」と断じる。

 菅原は1927年、網走管内滝上町で料亭を営む一家の2男として生まれた。教育熱心だった父は、菅原が9歳の時に料亭を畳み、子どもたちに札幌で都会の教育を受けさせることを決断した。

 それでも、勉強をしなかった菅原は札幌光星商業(現・札幌光星高校)に辛くも補欠で合格。当時、丘珠空港で見た陸軍飛行兵の姿に憧れ、17歳の時、志願して水戸陸軍飛行学校に陸軍特別幹部候補生として入学した。

 「当時、日本は天皇陛下を頂点とした縦社会。世界で最も立派な国だと教育された。だから私も天皇陛下と御国のために鬼畜米英を撃滅し、東洋平和を守らなければならないと考える軍国少年だった」

 飛行機の操縦や無線の操作を学んだ菅原は、44年12月に水戸陸軍飛行学校を卒業。翌月、浜松にある第61戦隊第2教導飛行隊で実践訓練を受けた。

 2カ月後の45年3月、岐阜県各務原の第12輸送飛行隊に転属。3月27日、百式爆撃機「呑龍」(どんりゅう)の操縦桿を握り、台湾に向かう途中、呉の上空で12機の「グラマン」に遭遇した。

 時速500キロ以上の敵機に対し、呑龍の時速は350キロ。勝ち目はなかった。瀬戸内海の島々を這うようにして逃げ、到着したのが九州・福岡の太刀洗飛行場。

 だが、着陸後に空襲警報のサイレン。上空2,000メートルを覆い尽くしたのは、B29爆撃機の10機編隊。250キロ爆弾の轟音と恐怖は筆舌に尽くしがたかった。爆風に飛ばされた菅原は、目の前にあった土管に走り込んだ。

 「土管の中、私の目の前には大嫌いだったイモリがいた。イモリと目が合った途端、イモリの赤い腹が動き、私の腹も動いた。私は死なずに生きていることを実感することができた。その途端、大嫌いだったイモリが急に愛しくなった。地獄の体験、極限状態の中では、国や天皇陛下でなく、自分やまだ親孝行をしていない両親の命が大事だった。這いずり回ってでも生きていたかった。誰も死にたくはないんです」

 日本陸軍総特攻飛行兵長を務めていた菅原は、土管の中で九死に一生を得たものの、すでに日本が戦争に勝てないことを確信していた。

 その菅原に2度目の“死期”が訪れた。沖縄の米軍艦船に「呑龍」ごと突っ込むという総特攻の命令だ。

 「沖縄に辿り着く前に撃ち落されるかもしれない。無駄死にだと思ったが命令。逃げても捕まる。命令なので仕方がない。強大な軍の流れに乗っていくしかない」と観念した。

 幸いなことに出撃命令の決行日は8月17日だった。

 その2日前、周知のように玉音放送が流れた。「これで生きられる。助かった」

 以来、平和運動を続けてきた菅原は、いまの日本の姿に憤る。(敬称略)

 次回は菅原が語る「日本の問題点」。






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菅原茂氏



関連サイト

中編
http://www.bnn-s.com/bnn/bnnMain?news_genre=17&news_cd=H20021023329

後編
http://www.bnn-s.com/bnn/bnnMain?news_genre=17&news_cd=H20021023330






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