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“正義は目に見えぬ力になっておまえを助ける”


 
「おぼえておけ大きなケンカになればなるほど正義は味方の人数以上の大きな目に見えぬ力となっておまえを助けるだろう」(熱笑!!花沢高校第9巻 どおくまんプロ)
高校二年生にして、大阪中のどんなに強い不良や番長がタイマンを張っても、誰も勝てないと言われた花高(花沢高校)の一匹狼・獣田三郎が、後輩・力勝男を叱咤激励した一言だ。
力は、いかつい顔と巨体で誰しもをビビらせる男だが、いざケンカをすると弱く、中学生時代は、“パシリ”をさせられたり、パンツを脱がされるなど、典型的ないじめの対象だった。その力は、花高入学後、ケンカに連勝、ついには大阪一円を支配する暴走族「北大阪の虎」と雌雄を決することとなった。
獣田が発した冒頭の言葉は、北大阪の虎との一戦にビビッた力を勇気づけた一言だった。
「熱笑!!花沢高校」は、高校時代、俺の“バイブル”だった。
この時、「少年チャンピオン」に連載された花校は、2002年、徳間書店から“復刻版”が刊行された。三十歳代半ばだった俺は、即座にこの花高を再読、 「やっぱり、正義感に満ち溢れた男はカッコいいや」と“アドレナリン”を噴出させた。
当然、獣田が発した「正義は見えぬ力となっておまえを助けるだろう」という言葉も改めて噛み締めた。
花高を読む以前、小学生だった俺が暴力教師に立ち向かう時、その背中を後押ししてくれたのも、この「正義」だったのだろう。
最近、いじめを苦に自殺する子どもたちの痛ましい事件が続いている。いじめの深刻さは、いじめと感じた人それぞれにとって十人十色のものであり、代表的な事例など存在しないはずだ。
俺がいじめられた経験も披瀝しよう。およそ三十年も前のことだから、あんまり参考にはならんがな。
正確に言えば、これはいじめというよりも暴力と認識している。それでも、時間軸を現代に置き換えると、まぎれもなく、いじめとなるだろう。暴力、暴言を発した輩は、すべて教師だった。
俺が卒業したのは、札幌市に隣接する江別市の大麻小学校だ。暴力、暴言は小学校四年生から六年生までの三年間、続いた。いずれの三教師も現在、同じことをすれば、懲戒処分を免れない。
まず、四年生の時。担任ではなかったが、同じ学年のほかのクラスを受け持っていた綱渕教諭。
小学四年だった俺は自分の教室のほか、当番で一年生の教室の掃除もしていた。教室の壁には「先生は○○」という紙が張ってあり、一年生はこれを国語の授業で使っていた。俺はこの空欄の○○にバカの二文字を書き、「先生はバカ」と仕上げた。どうやらこの落書きは、一年生に大層評判が良かったようで、一年生は授業中も「先生はバカ」とオウムのように繰り返したそうだ。
俺のいたずらに激怒したのが綱渕教諭。俺を黒板の前に立たせ、思いっ切り殴った。殴られた俺は、2メートルほど離れた黒板まで吹っ飛び、頭を強打した。殴られた理由が俺にあることは言うまでもないが、当時二十代半ばの綱渕教諭が渾身の力を込めただけに衝撃は非常に大きかった。
俺が五年生に進級した時、二歳年下の弟の担任になったのが、この綱渕教諭である。弟は家に帰るなり、始業式の出来事を教えてくれた。
「綱渕先生が出席簿を読んで『何っ、東。あの東の弟か。俺はあの時本当に頭にきて叩いたんだ』と話していたよ」
弟からこの話を聞いて、俺は歓喜した。「大の大人が俺を意識していたとは…俺の勝ちだ」と思った。俺は綱渕教諭に殴られた時、泣かなかった。それはいまでも自慢できることだと自負している。「あの程度の男に殴られたぐらいで泣いては、本物の男の男がすたる」と、まぁ、そんな感じだった。
続いて六年生の時に起こった事(五年生の出来事は一番おいしい体験なので後述する)だ。担任は五十歳代後半の上杉教諭。
上杉教諭は授業時間中、「日の丸弁当になった奴は手を挙げろ」と言った。そうすると、クラスの半分程度の女子が手を挙げた。
女子に対するこの問い掛けは一カ月、二カ月後も定期的になされた。そのたびに手を挙げる女子の数が増えていった。ウブな俺にはさっぱり質問の意味が分からなかったが、中学生になってようやく閃いた。「そうか、生理になったかどうかを聞いていたんだな」と。
この上杉教諭、戦時中は中尉だったそうだが、何でも教師生活三十数年間で、「子どもを叩いたことはない」と豪語していた。しかし、修学旅行の旅費計算を任された俺たち四人は、計算が合わず、思いっ切りビンタを張られた。“日の丸弁当ヨロシク”とばかり、鼻から血が出るほどだ。
続いて“真打ち”の登場。五年生の担任だった入間川(いりまがわ)教諭。いま思えば、この担任は、よほどのストレスを抱えていたというより、人間そのものが壊れていたとしか言いようのない人物だった。
宿題の問題を児童に告げる時、各班長を教壇前の床にひざまずかせ、ノートに問題を書き取らせる。宿題をやってこない子どもや忘れ物をした子どもには「おやつ」と称する仕置きをする。
入間川教諭は、子どもの揉上げを利用手で持ってつまみ上げるのだ。しかも、その時、つまみあげられた子どもの足は床から離れ、体が浮いている。揉上げだけで宙に浮かされるわけだ。
入間川教諭は揉上げを引っ張って抜けた髪の毛を指に挟み、本数を数えながら楽しそうに弄ぶ。こんな暴力教師だけに、逆らう子どもはいなかった。
俺は小学五年ながら「こいつだけはどうにかしてやりたい」と心に決めた。脳裏に浮かんだのは、教室に飾ってあった入間川教諭の似顔絵焼却。
当時の教室は石炭ストーブ。このストーブには、鉄製の火かき棒「デレッキ」が付いている。この棒でストーブ中の石炭を調整すれば、効率良く石炭が燃焼する。
俺はしばらくこのデレッキをストーブの中に入れたままにした。そうすると鉄の棒は段々赤くなる。だが、ここからが堪えどころだ。じっと我慢をして待つとデレッキの温度はさらに上がり、色は赤から白に変わる。白になれば、準備万端だ。機が熟したと冷静に判断(嫌な奴だな)した俺は、石炭ストーブからデレッキを取り出し、その先端を入間川教諭の似顔絵にキスさせた。
「プシュッ」。
思惑どおり、似顔絵が燃え出すではないか。いま風に言えば、「萌え(燃え)」と言ったところか。振り返ると、この瞬間は俺の人生で五指に入る痛快体験だった。
間もなく、教室に戻ってきた入間川教諭は「誰だ、絵を燃やした奴は」と激怒した。
「俺だ、コノヤロー」と堂々と名乗りを上げた俺の胸中は、爽快感と、ひとつの偉業を成し遂げた達成感でいっぱいになった。
驚嘆したのか、入間川教諭はそれ以上、何も言わなかった。「地球が丸い」ことを実証したマゼラン同様、「入間川教諭は臆病者」であることを実証した俺は、自分の名が世界史に刻まれるのではないかと興奮したほどだ。
以来、入間川教諭は俺が授業中に手を挙げても、完全無視を続けた。
しばらくすると、俺は父・孝一から「学校で何かあったのか」と聞かれた。事の顛末を話すと、父は入間川教諭に激怒し、近所の喫茶店に呼び付け、猛烈にお灸を据えた。その後、入間川教諭はすっかり消沈、おとなしくなった。
父は悪さをした小学生の俺を野球グラウンドのバックネットに深夜まで縛りつけるという暴力教師に負けず劣らずのしつけをしたが、やはり持つべきものは親である。
いくら学校に落ち度があっても、いじめで死ねば、大切な命が息を吹き返すことは二度とない。まして、いじめた友達を一生苦しめてやろうとの思いで自害すれば、酷なようだが被害者と同じく加害者にもなってしまう。
メディアや世論がいじめの矛先を学校や教育委員会ばかりに向け、いじめをした子どもやしつけを怠ってきた親の責任に触れない限り、問題解決の端緒となる事実の確認すら期待することはできない。
仮に学校が頼りにならなくとも、親がしっかりと子どもの悩みを受け止めてれば、少なくとも最悪の事態を減らすことはできるはずだ。
幸か、不幸か、教師から被った三十年前の暴力体験は、俺の血となり、プヨプヨとした腹の贅肉となった。 










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