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女性の視点第2回 世界に羽ばたく道産子アスリート、トリノ五輪女子カーリング代表 小野寺歩 前編


12月02日(土) 14時15分
文:古瀬 写真:古瀬



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小野寺歩さん
 「初めての世界のレベルはすごかったです。テレビでしか見たことなかった選手と戦っているときは本当にワクワク、ドキドキでしたね」

 氷上を舞台に行われるカーリングは、約20キロの「ストーン」と呼ばれるハンドル付きの円形の石を、約40メートル先にある円形の的(ハウス)に目がけて滑らせ、点数を競う。その際、選手たちはデッキブラシ状のカーリング専用ブラシを用いて氷の表面をこすり、ストーンのスピードや方向を調節する。1998年の長野冬季オリンピックから、正式競技に採用された。

 網走管内常呂町(現・北見市)出身の小野寺歩さんは、2002年のソルトレークシティー、続く06年のトリノの冬季オリンピックに連続出場した。

 初出場のソルトレークで8位入賞、チームの主将を務めたトリノでは7位入賞の原動力となった。その小野寺さんにカーリングとの出会いからソルトレークオリンピック出場内定までの軌跡を聞いた。

 ――カーリングを始めたきっかけは。

 小野寺 私が12歳の時、一緒にオリンピックにも出た関和(旧姓・加藤)章子さんに誘われました。加藤さんと同級生の子がジュニアのチームを作って試合に出る時、メンバーが2人足りず、私に白羽の矢が立ちました。私の両親もカーリングをやっていたので、夜遅くまで練習が続く場合でも送り迎えをしてもらいました。

 最初は遊び程度だと考えていましたが、友達に誘われ、いざやってみると本格的にコーチもいて、すごく厳しいものでした。最初は難しく、氷の上で立つことすら出来ませんでした。

 ――難しいカーリングを楽しいと思えるようになったのは、いつ頃からですか。

 小野寺 最初のうちは、友達とカーリングを通してどんどん仲良くなっていけたのが楽しかったです。カーリング自体を面白いと思ったのは、始めてから2〜3年後だと思いますね。全道大会などで少しずつ勝ち進み、21歳以下の日本のジュニア代表になろうとみんなで頑張っていたんですよ。その中で勝っていく楽しさ、チームの4人で勝負を決める面白さが分かっていきました。

 ――高校生の頃には世界レベルの選手でしたか。

 小野寺 いえいえ全然。カーリング界では21歳以下の世界ジュニア選手権があり、その大会に4回日本ジュニア代表として出場し、二回、日本カーリング界に銀メダルをもたらすまでになりましたが、その後一般の世界選手権に日本代表として世界でメダルを取るとか、オリンピックに出るということは、高校時代には考えたこともなかったですね。

 ――初めて世界レベルの競技に参加した時のことをお聞かせください。

 小野寺 世界選手権のアジアオセアニア地区予選である、パシフィック選手権の日本代表チームに補欠で入って出場しました。いざ、試合に出ると世界レベルの前に日本代表メンバーとのレベルの違いに「やっぱり無理だ」と思いました。

 実際にジュニアの世界大会に初めて出場したのは高校2年生の時(1996年)、カナダで行われた世界ジュニアカーリング選手権です(女子の成績は5勝4敗で第5位)。

 ――ジュニア世界選手権に出場した時は高校生ですね。その時の練習は。

 小野寺 部活で陸上もしていましたが、カーリング部はありませんでした。それでも部活が終わってから毎日、3〜4時間は練習していました。

 ――辛いと思ったことはありませんでしたか。

 小野寺 自分は結構のめり込むタイプです。親からは、いざやると決断したら、「最後まで諦めずにやり通す」ように育てられたと思っています。

 陸上は個人競技なので自分の努力次第でどうにでもなりますが、カーリングはチーム競技なので、自分が練習不足であれば、チームメイトの足を引っ張ることもあります。そうなってチームに迷惑をかけないように1人で練習したこともあります。

 ――当時の世界レベルの選手と対戦した感想をお聞かせください。

 小野寺 世界レベルの選手は、体も大きく、技術もすばらしかったです。テレビでしか見たことなかった選手と戦っているときは、本当にワクワク、ドキドキしました。

 ――高校生活はどのように過ごされましたか。

 小野寺 普通の高校生で当時はカーリングでオリンピックに出場することが夢ではありませんでした。本当は違う夢を持っていて、小さい頃からそちらに進もうと思っていました。カーリングは頑張っていましたが、「勉強も頑張らないと」と思って過ごしていたような気がします。

 ――その時の夢とは?

 小野寺 教師になりたかったんです。小学校の頃にすごくいい先生にめぐり合ったこと、私の祖父が教師になりかったけど、戦争でなれなかったらしいんですね。だから祖父からは違う人生を歩んでしまったと聞き、それで教師になりたいなと思いました。姉も教師をしているので、見ているとうらやましい気持ちもありました。

 ――それでも札幌学院大学に入学後、カーリングを続けましたね。

 小野寺 大学選択時に自分は教師の道に進みたかったんですけど、いろいろな人に「教師の道はいつでも進める、カーリングでオリンピックを目指せるのは本当にごくわずかな人しかいない」と励まされました。私、単純なので「なるほど」と思ったんです。だから大学受験の時には「カーリングでこれから行こう」と思いました。

 ――大学にカーリング部はありましたか。

 小野寺 いえ、大学にカーリング部はありませんでした。大学にはスポーツ推薦でなく、一般入試で入りました。

 ――大学時代を振り返って、いま思うことは。

 小野寺 大学では、カーリングを理由に留年したくはありませんでした。カーリングを言い訳にして成績が悪くなったりするのは嫌でした。(海外遠征などで)授業をどんなに休んでも、頑張らないといけないなと思い、行けるときにはとことん行っていました。

 高校のときもそうなんですけど、大学でもすごくいい友達にめぐり合えました。授業に出ていないと単位を落とされますよね。そうならないためにノートを貸してくれたり、「頑張っているのに、どうして単位をあげないんだ」と先生に直訴してくれる友人もいました。友達から直訴したという話を聞いて、「とてもいい友達を持ったな。頑張ろう」と思いました。もちろん、単位はもらえませんでしたが。

 私は本当にそういうすばらしい人たちに恵まれて人生を今日まで歩んできたと思っています。大学のときにも、そういった友達に助けられてきました。大学生の頃、恩返しするためにも、「オリンピックに出たい」と、現実的な夢として思いました。

 ――続いてオリンピックの出場ですね。

 小野寺 長野オリンピックは私が大学1年生の時に開催され、その時は幼馴染の加藤さんが選ばれました。加藤さんとは仲が良かったので、現地に応援に行きました。

 そのときに初めて「あ、オリンピックってこんなにすごいところなんだ」と感じ、4年後は出たいと思いました。
 02年のソルトレイクの選考会は、卒業式の前日でした。試合に負けたら卒業式は出ないと決めて臨みました。結果は大逆転の末に勝ち、夜行バスで札幌に直行して卒業式に出たことをいまでも覚えています。

 以下、中編に続く。

■小野寺歩(おのでらあゆみ)さん
 
 1978年11月25日、北海道網走管内常呂町(現・北見市)生まれ、01年、札幌学院大学卒業。21歳までに4度、世界ジュニアカーリング選手権に出場。99年、01年世界女子カーリング選手権に出場、01年は7位となった。今年5月、チームから退き、「休養」を宣言したが、「いつかは戻りたい」と語っている。
 







関連サイト

中編
http://www.bnn-s.com/news/06/12/061208170532.html

後編
http://www.bnn-s.com/news/06/12/061212100448.html






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