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女性の視点第2回 世界に羽ばたく道産子アスリート、トリノ五輪女子カーリング代表 小野寺歩 中編


 
「トリノに行きたい気持ちは全員同じだったので、すごく良いチームになりました」
網走管内常呂町(現・北見市)出身の小野寺歩さんは、12歳からカーリングチームに所属、21歳までに4度の世界ジュニアカーリング選手権を経験した。99年、01年には世界女子カーリング選手権に出場、01年は7位となった。札幌学院大学卒業後は2002年のソルトレークシティー、06年のトリノと2度のオリンピック冬季大会に出場し、連続入賞を果たしている。その小野寺さんに2度のオリンピック出場までの道のりについて聞いた。
――ソルトレークシティー五輪の出場が決定してから本番までの日々はどのように過ごされましたか。
小野寺 大学卒業後ソルトレークシティー五輪までの1年間は出場の内定を頂いていたので仕事をしないでずっとトレーニングに明け暮れていました。それまでは陸上競技で動いてはいたのですが、トレーナーのもとの五輪で勝つためのトレーニングはとても厳しく、ジムや体育館に毎日通い、基礎体力を鍛えるのに必死でした。
――練習を重ねて初めて出たオリンピックの感想はいかがでしたか。
小野寺 悔しかったです。ソルトレークシティー五輪ではメダルを取れるのではないか、という前評判がありました。でも、本番ではそれまでの4年間でつけてきた実力が出せずに、あっという間に終わってしまいました。今思うとそれがそのときの実力であり、結果はそれまでの努力を反映しているとはっきりいえます。甘かったの一言です。また、前回はスキップ(主将)ではなくセカンド(第2投球者)のポジションでの出場でしたので、チームに甘えいてたところがありました。
日本に帰る時は、オリンピックで戦ってきたと言える自分がいない、自分が代表として行ったのに恥ずかしいという気持ちでした。
それでも、その時の悔しさが今回のトリノオリンピックまでの4年間のモチベーションにつながったと思うので、もちろん意味があるオリンピックだったと思っています。
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02年のソルトレークシティー五輪で女子カーリング日本代表は、8位入賞を果たしたものの、2勝7敗の成績で予選落ちを喫している。
――トリノオリンピック出場までの4年間を振り返り、その思いを聞かせてください。
小野寺 ソルトレークシティー五輪が終わってから、次のトリノを目指したいと考えていました。しかし、その時は無職だったので、まずは仕事をしなければいけませんでした。カーリングを続けるためには、練習をする施設がないと困るので、働く場所は限られます。
ちょうどソルトレークシティー五輪翌年の03年に第5回アジア冬季競技大会が青森市で開催され、「青森市スポーツ会館」という施設ができました。そこで仕事をしながらカーリングを続けられるという話をたまたまいただいたんです。
出身地の常呂町でアルバイトをしながらオリンピックを目指せる環境もありましたが、知らない場所に行って一から始めた方が絶対に自分が成長できると感じたので、青森に行くことに賭けてみようと思いました。その時はソルトレークシティー五輪でチームメイトだった林さん(※1)が「小野寺さんとトリノを目指して頑張りたい」と言ってくれたので、まずは2人で青森に向かいました。その後、私たちが青森でトリノを目指している話を聞いた目黒(※2)さんたちも私たちを追って青森県内の大学に入学し、チームが結成されました。偶然であり、とてもいいタイミングがこのチームを作ってくれたのです。
施設での仕事は利用者の受付や道具の出し入れ、草むしり、と何でもやりました。青森はカーリングが発展途上の県だったので、カーリングを広めるための教室を開いて、初心者の方々に教える普及活動もしていました。正職員ではなかったので、生活面でも切り詰めての苦労もありましたが、仲間がいるから、トリノに行きたいから、と必死に乗り越えてきました。
トレーニングでは自分のソルトレークシティー五輪での経験をベースに、メニューをつくって何をしなければならないのか、ほかのチームメイトに教えながらやっていました。4年前のオリンピックで味わった「もっと出来たな」という後悔だけはしたくなかったので、この4年間は前回とは比べ物にならないほど、トレーニングを積みました。
カーリングはチームワークが大切です。普通はチームを結成してこんなに早く(小野寺さんの所属していた「チーム青森」は03年に結成)オリンピックに出るというのはあり得ないことです。自分たちは生活の基盤を知り合いが誰もいない青森に置きました。そこでは頼るのも頼られるのもチームのみんなしかいません。そうした環境で「トリノに行きたい」という気持ちはチーム全員が同じだったため、歯車が合ってすごく良いチームになりました。
――練習を積み重ねた結果、トリノオリンピックへの出場が決まりました。
小野寺 出場が決まったときはうれしかったです。自分が青森で生活してから、常呂町で初めて行われた試合が昨年11月のトリノ五輪選考会でした。選考会ではそれまでの自分の成長を家族や友達、地元の方々に見てもらうことができました。
そのとき私は試合の作戦を立て、チームに指示を出すスキップ(主将)という立場でした。はじめ、コーチとポジションを決めるときには、自分は先頭に立つのが苦手な性格なのでスキップを務めるのは大変だと感じていました。選考会でも昔からお世話になっている常呂の人たちに「お前に出来るのか」と驚かれたくらいですから。
それでも、私の「トリノに行きたい」という一言から、中学時代から一緒にカーリングをしてきた林さんやチームのみんなも自分に付いてきてくれました。だから、「信じて付いてきてくれた人たちをオリンピックに連れて行くためには、自分がやらなきゃいけない」という相当の覚悟を持ってリンクに立ちました。
その時は「勝つんだ」というイメージが現実を引っ張っていくような、すごく不思議な感覚でした。(05年11月の「トリノオリンピック・カーリング日本代表(女子)選考会」で、小野寺歩さん率いる「チーム青森」は「チーム長野」を破ってトリノ五輪出場を決めた)
――トリノオリンピックの試合をいま振り返るといかがですか。
小野寺 結果は「悔しい」の一言です。やっぱりメダルが欲しかったですね。前半は自分の調子が悪くてデンマーク戦を落としてしまいました。日本を代表してオリンピックに出ているので自分がスキップで負けてしまうのであれば、私が外れることも必要だとその時は思いました。だからチームには、すぐにその提案しました。
でもチームのみんなから戻ってきたのは「やっぱり(小野寺さんに)やって欲しい」という言葉でした。林さんには「何のためのつらい生活や仕事、練習を乗り越えてきたんだ」と言われて、「ああ、そうだな」と考えを改めました。林さんとは青森でゼロから一緒に頑張ってきた仲だったので、私たちのこれまでの努力を無駄にしてはいけないと感じていたのだと思います。
あとは現地に応援に来てくれた家族や友達、日本で見ている人たちに、このままでは申し訳ないと感じました。それで後半のカナダ戦からは私もチームも「いいから次は勝つ」と前向きになりました。
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カーリング日本女子代表のトリノ五輪での戦績は4勝5敗。6日間の試合期間中、3日目までは1勝3敗と不調だった。4日目以降は調子を取り戻し、3勝2敗。強豪カナダと前回金メダルのイギリスを下す金星も挙げた。結果は予選落ちだったものの、7位入賞を果たし、前回よりも1つ順位を上げた。
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――オリンピックの出場を決めるまでは、どのような気持ちを保ってこられたのですか。
小野寺 オリンピックに必ず出られるという確証はないし、選考会で負けてしまったら本当に普通の人です。何の保証もない中で、私たちは選考会に勝ち、オリンピックに出場することができました。
青森へ渡ってからトリノ五輪のことを考えない日は1日もありませんでした。「カーリングというマイナーなスポーツを日本中に広めたい。そのためにはメダルを取るんだ。それが私のカーリング人生のゴール」この気持ちが、他の選手には負けないくらい強く私の中にあり、私の背中をいつも押してくれた源でした。
以下、後編に続く。
(※1)林弓枝さん。網走管内常呂町(現・北見市)出身。中学時代に小野寺歩さんとカーリングチーム「シムゾンズ」を結成した。ソルトレイク、トリノで五輪に出場し、06年に引退。
(※2)目黒萌絵選手。上川管内南富良野町出身。トリノ五輪では小野寺さんとともに戦った。現在は「チーム青森」で小野寺さんの後任のスキップ(主将)としてチームを牽引している。
■小野寺歩(おのでら あゆみ)さん
1978年11月25日、網走管内常呂町(現・北見市)生まれ。01年、札幌学院大学卒業。翌02年に行われたソルトレークシティーオリンピックに出場し、8位入賞。06年のトリノ冬季オリンピックではカーリング女子日本代表の主将を務めた。チームは前回金メダルのイギリスや強豪カナダを破り、7位入賞を果たした。今年5月、チームを退き「休養」を宣言したが、「いつかは復帰して、オリンピックでメダルを取りたい」と語る。







関連サイト

前編
http://www.bnn-s.com/news/06/12/061202140229.html

後編
http://www.bnn-s.com/news/06/12/061212100448.html






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