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フセインの死刑画像流出で露呈、中東を揺るがす7つの懸念


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01月10日(水) 19時25分
文:東 写真:東 |
 
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| ティクリートに造られたフセインの息子・ウダイの宮殿にあったフセインの肖像は、顔が剥がされていた(写真はいずれも2003年撮影) |
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うろたえることなく毅然と絞首刑に臨んだ独裁者は「殉教者」に…。
昨年12月30日、サッダーム・フセイン元大統領(以下、フセイン)の絞首刑が執行された。
死刑執行にあたり、特記すべきことは多々あった。換言すれば、内戦状態とされるイラクの治安情勢が一層悪化するであろう愚策が随所に見られた。
周知のようにフセインの処刑は、執行現場に立ち会った人物が携帯電話のカメラで撮影、その画像がカタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」で流された。筆者を含め、インターネットで画像を見た日本人は少なくないはずだ。この画像はイラク戦争後、イラクの武装勢力によって斬首された外国人の映像と同様にショッキングなものだが、以下に列挙する7つの事情から今後の世界情勢に与える影響の面で大きく異なる。
1.スンニ派の怒りを増長させる“処刑画像”
この画像がインターネットを通じて世界に流出したことは、長年、独裁者に弾圧されてきたシーア派にとって歓喜すべきことである反面、シーア派に対立するスンニ派の怒りを増長させたことにほかならない。流出の意図の如何にかかわらず、結果としてイラク政権の中核にあるシーア派は、敵対するスンニ派との宗教対立を収束させる意思がないことを喧伝したことになる。
2.殉教者を演じたフセイン
前述したフセイン絞首刑の画像は、刑を執行した事実以上に宗教対立を激化させる要因となる。絞首台にフセインを連行する覆面の兵士は、精神的苦痛を緩和するため、フセインにフードを勧めたが、フセインは拒み、死の直前に「アッラーのほかに神はなし」などと唱えた。一方、死刑の立会人は、この時、「地獄へ堕ちろ」と罵倒し、シーア派指導者ムクタダ・サドル師の名前を3回叫んだ。サウジアラビアやイラクでの死刑執行は斬首である。にもかかわらず、フセインは絞首刑となった。斬首には残酷なイメージが伴うが、むしろ苦痛は圧倒的に少ない。ともかく、絞首刑にうろたえることなく毅然とした態度で臨んだ犯罪者・フセインは、スンニ派に殉教者のイメージを与え、死してその存在を語り継がれることになるはずだ。
3.イスラム諸国の感情を逆なでした死刑執行日
イスラム教では12月31日から世界中のムスリムが祝う「イード・アル・アドハ」(犠牲祭)が始まる。フセインの刑執行はこの前日に行われた。しかし、31日から犠牲祭が始まるのはあくまでもシーア派の暦上のことで、スンニ派では30日が初日になる。これもまたスンニ派の感情を刺激する結果となった。
イラクではシーア派が多数を占め、スンニ派は少数勢力。だがイスラム諸国全体をみればスンニ派が多い。そのため、フセイン政権と対立していたエジプトも犠牲祭初日の死刑執行を批判した。フセインに対する好悪は別に、処刑日はイスラム教徒を侮蔑する行為だった。
4.“封印”される独裁者の犯罪
フセインは、1982年にイスラム教シーア派住民148人を殺害したとされる「ドジャイル事件」で2005年に起訴され、「人道に対する罪」で死刑を言い渡された。独裁者として君臨、数々の非人道的行為を繰り返してきたフセインは、イラン・イラク戦争が行われていた88年3月、クルド人居住区のハラブジャ住民がイランを支援したとして化学兵器を使用、およそ5,000人を虐殺した。続いて91年には蜂起したシーア派を弾圧、10万人とも言われる住民を殺害した事件などが取り沙汰されている。それでも「ドジャイル事件」以外で起訴されることはなく、フセインの死後、数々の犯罪の真相が明らかにされる機会は失われた。
5.民主主義国家の呈をなさない「イラク」
フセインに限らず、集団殺害や侵略、戦争犯罪を犯した国家指導者は、本来、国際刑事裁判所(ICC)で裁かれる。ところがフセインの死刑判決は、イラクの高等法廷で下された。米英占領当局とイラク統治評議会は、03年12月、旧フセイン政権時代の犯罪を暴く目的で特別法廷を設けた。この特別法廷は、国内法に基づき5人の判事が審理を行う2審制の高等法廷に名を改められた。
高等法廷が死刑を宣告したのは昨年の11月5日。続いて控訴が棄却されたのは12月26日。だが、日本と同様に上級審で犯罪を審理された実態はなく、裁判中に裁判長が更迭されるなど、到底、イラクの司法が独立したものとは言えない。さらにアメリカがICCに加盟していないことが高等で審理された要因であることは容易に想像できる。アメリカが民主主義国家をつくると意気込んだ新イラクは、いまだ国家の呈をなさない傀儡政権とも言える。
6.増幅する反米感情
広く知られるようにアメリカが03年3月に仕掛けたイラク戦争の大義は「イラクの大量破壊兵器」の存在だった。イラン・イラク戦争の際、アメリカは反米国家であるイランの脅威を重視して、フセイン政権を支援した。当然、アメリカはイラクが「ハラブジャ事件」で化学兵器を使用したことを熟知しているはずだが、フセイン政権時代の大量破壊兵器には口を閉ざしている。アラブに土足で入ってくるアメリカの行為は、その同盟国である日本でこそ強い批判の対象となっていないものの、アラブ世界での反米感情を募らせるものにほかならない。
7.懸念されるイランとイスラエルの衝突
以上のように宗派対立の激化によって中東情勢が混迷する中、イランが北朝鮮に呼応するかのように核開発に踏み切れば、敵対するイスラエルが黙認することは考えられない。そうなれば、繰り返し中東は火の海と化す可能性がある。フセインの処刑で打撃を被ったのはスンニ派勢力というよりも、むしろフセイン処刑でイラク戦略の失敗を挽回したいアメリカやフセインの早期処刑に固執したマリキ首相ではなかろうか。







| 米軍に空爆されたウダイの宮殿にはゴージャスないすが残っていた |
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| 同じくウダイの宮殿のジャグジーバス。蛇口など金製品でできていた部分は盗賊が盗んだ |
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| バクダッドのスラム街「サッダーム・シティー」は、フセイン政権崩壊後、忌み嫌われたフセインの名前を排し、シーア派指導者の名を冠した「サドル・シティー」に改められた |
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