犯罪被害者が刑事裁判へ大幅に関与する「被害者参加」制度や「付帯私訴」制度の導入を盛り込んだ刑事訴訟法の改正案が、平成19年3月13日、閣議決定されたとのことだ。平成18年、東京地方裁判所や大阪地方裁判所に、犯罪被害者らの「専用待合室」の設置されるなど、犯罪被害者に対するビジュアルな待遇改善が進んでいるのは事実である。
さて、改正案が成立し施行されれば、具体的には、被害者や遺族が、法廷の中で検察官のそばに座って、被告人に対し直接に事実を追及したり(「被告人質問」)、相当と考える刑罰の意見を述べたり(「求刑」)することを認められることになる。また、刑事裁判の手続の中で被告人に損害賠償を請求することができることになる。
従来は、どんな重大犯罪であっても、刑事裁判では、刑事記録さえもみることができずに、被害者や遺族がないがしろにされていたというのが実情であった。このような制度不備に対する社会の憤りは、地下鉄サリン事件で突然生まれたものではなく、若山富三郎主演の
「衝動殺人 息子よ」が公開された昭和54年よりずっと前からのものだ。
昭和55年5月1日に「犯罪被害者等給付金支給法」が制定された以降、公的な犯罪被害者補償制度が拡張してきてはいるが
十分ではない。
また、刑事裁判においては、被害感情を述べる「意見陳述」が取り入れられたのは、ようやく平成12年になってのことであった。
しかし、今回の改正については、慎重論や反論が多い。まずは、「犯罪被害者を刑事訴訟に関与させるという方法は、刑事訴訟の本質と相容れない」という意見だ。
このような意見は、犯罪被害者からすると到底納得できないものであろうけれど、私も、原理的には正しいものと考えている。ただ、原理そのものに対しては、生身の人間が生活する現実の世界でどこまで貫くことができるのかという視点も不可欠で、ここではこれ以上深入りしないことにする。原理的な意見については、例えば、
ここををご覧頂きたい。
私が述べておきたいのは、「被害者参加」制度や「付帯私訴」制度を導入したとして、果たして、被害者や遺族の声が刑事訴訟に反映されたり、被害者や遺族の感情を適切に受け入れる機能を持てるかという疑問である。
「被告人質問」といっても、事実上、被告人をやり込めたり、罵倒したりする場が一定の時間だけ提供される結果となるだけだ。隠されたより重大な犯罪事実が明らかになるわけではない。
あるいは、「求刑」することができるといっても、犯罪被害者の意見がそのまま採用されることが保障されるわけではなく、従来からの刑事裁判で形成されてきたいわば相場に沿って刑罰が科されることにならざるを得ない。
また、損害賠償を請求できるといっても、損害額の算定は、犯罪被害者の希望によるのではなく、従来の民事訴訟において集積されてきた基準によることになるであろう。そればかりか、そもそも民事訴訟で認容されたとしても損害額を支払う資力のない被告人の場合であれば、結局、絵に描いた餅となってしまう。
いずれにしても、納得できる損害額の現実に受け取ることを確保する制度ではない。
私が危惧するのは、大きな目玉を掲げた法律が制定される場合、一見とても大きな前進があるかのように思われがちであるが、花火が上げられ幕じまいともなりかねないということだ。
見た目の華やかさに惑わされることなく、また抽象的な原理の議論に終始することなく、具体的に何を実現することによって、犯罪被害者の救済を現実に図ることができるのかをじっくりと検討していく必要がある。