今年も、アッという間に4分の1が過ぎ、4月。新年度が始まってしまいました。
なお、この「節目」の原稿では、画面を下にスクロールしていただくと、最後に
とてもおぞましい写真の拡大版が見れますので、ご期待下さい。
さて、私は昭和34年生まれの「亥年」で、今年は、年男のはずだった。が、元来は、干支の割当も節分までで区分するそうであり、そうなると1月生まれの私のは「戌年」で、とっくに年男は終わってしまっていたということになります。
しかしそれでも、何事にも誤差があるので、今年あたりが、私にとっては暦の上での節目というべきでしょう。そう考え直すと、ここ2、3年、節目に向けての準備と思えるような出来事が起きていました。
平成15年秋に突然思い立って準備を始め、11月には現在の事務所に移転しました。当初は、外套を着ずにサンダル履きで、1階にある銀行に行けるメリットを感じる程度でしたが、これを前後して、それまで予想もしなかった体験を味わっています。
1 平成16年4月から3年限りのお約束で北大法科大学院(「ロースクール」)の実務家教員をお引き受けすることになりました。
新しい事務所への引っ越しの少し前、チョイとした呑み会で、S弁護士に「同期のよしみで・・・」などと言葉巧みに頼まれて、呑んだ勢いで人間が大きくなりウッカリ引き受けてしまったのでした。
ロースクールの重大な任務の一つは、法律の素人を、受け容れて、平衡感覚の優れた法律家を世間に供給することです。私への指令(ミッション:インポッシブル)は、北大法科大学院に入学してきた法律のずぶの素人(法律未修者)に、1年間で、法学部の学生が3〜4年かけて修得してきた民法をたたき込むことでした。
私は、法学未修者コースの学生を1年間で民法全範囲を修得させるという企てで開設された「民事法基礎ゼミ」の1クラスを担当しました。毎回、実務家養成を意識して、北大の教授陣と我々弁護士軍団が議論して作成した設問を課題として提出してもらいます。
学生が作成した答案10数通を添削して、従前の枠組みでいえばゼミ形式の授業に臨みます。1通の答案を添削するだけでも1時間近くかかる上、20年前に司法試験合格とともにどこかに置き忘れてきたアカデミックな知識を、人に教えるために思い起こしながら教科書を紐解き予習をするわけです。ほとんど丸2日が潰れ、本来の私の業務時間を浸食します。初年度は、授業が10回実施され、採点は8回でした。北大からは、一定の報酬の支払いを受けますが、実労働時間で計算すると、とても、最低賃金法に基づき都道府県が定める最低賃金に及ぶものではありません。
しかし、法律の知識を見つめ直したり、分かりやすい説明をするために頭をひねるという作業は、良くも悪くも、経験とか“勘”ということに頼り始めていた私自身の実務的な技能や感覚を見直すよい機会になりした。そして、学生の強烈なエネルギーをもろに浴び続け、このまま認知さえもできなくなり枯渇化していったであろう脳・精神の大事な部分に
“喝”が入れられたような気がします。
北大法科大学院の目玉である「民事法基礎ゼミ」については、法律に関わる者にとってもっとも権威ある出版社の一つである有斐閣が発行する月刊誌『法学教室』で、これを紹介する機会を与えられました
(「漂流するのか法学未修者」)。
また、北大法科大学院のHPでも紹介されています
(北大LSの“目玉商品”)。
2 ロースクールでの体験が、“初心に帰る”という意味で、メンタル面でリセットがかけられたが、肉体面でのオーバーホールの機会にも遭遇しました。
平成17年に入って、夜中小用のために何度も目が覚めるようになったのです。また、昼間は耐え難い睡魔に襲われます。疲労感がとれず、万事について意欲が湧かない・・・・・・といった、沈滞ムードの状態が続くようになったのです。当時、はらたいら氏の体験などでちょっとした話題になっていた“男の更年期”ではないかと疑いつつも、そのまま無気力に日々漫然と過ごしておりました。
幸い、高校以来の友人の医師が事務所の近くの病院に赴任してきたので、ついでの時に相談しました。「お前、更年期なんぞではなく、“睡眠時無呼吸症候群(SAS)”に違いない」と見立てられたのでした。直ぐに専門の医師を紹介してもらい、一泊入院しての検査を受けた結果、友人の見立てが的中しました(検査の風景については、看護師さんに撮してもらった
とてもおぞましい写真を掲載しています)。
早速、「シーパップ(CPAP)」という装置を貸与され、本体にホースでつながれたマスクを装着して寝るようになるや、2、3日で事態は改善し、いびきもかかないようになったのです。空気を送る装置なので、それなりにうるさい音がするのですが、いびきの爆音に比べると雲泥の差で、女房にも好感度を持って受け容れられたのでした。
要するに、就寝しても、たびたび気道が塞がれ呼吸が止まり、無意識に長短の覚醒を繰り返し、きちんと睡眠ができていない、ということでした。夜中に目が覚めると、尿が溜まっているのは当たり前のことで、“夜中小用のために目が覚める”のではなく、“息苦しくて目が覚めて、ふと尿意に気付く”、という流れであり、実は、原因と結果が逆だったのです。
SASの深刻な例としては、車を運転中に強い睡魔に襲われ、交通事故に至ることもあるそうです。私の場合、後述のように、もうひとつのリセットの必要があり、危なくてとても運転どころではなかったので、幸いというべきか、体験せずに済んだのですが。
最近は、装着をつい怠っても大丈夫になったけれど、私の場合、根本原因の肥満を解消しなければならないのです。
3 平成17年は身体の整備不良の発覚が続いた。7月の始めに“白内障”の手術をしてもらいました。少し老眼がかり始めていたのですが、平成16年ころ急激に、ぼやけて見えたり、だぶって見えたりするようになりました。
白内障は、一般的には重篤な疾病でない。生死に関わるものでもないし、通常は、失明につながるものではありません。
しかし、体験しないと決して分からない、トンデモナイ不便が起きるのです。信号待ちのとき車道を通して対面する人の顔も分からない。だから、挨拶を失してしまいます。法廷での裁判官の表情や、ロースクールの授業での学生の表情が読みとれない。夜、車を運転すると、例えば信号が赤の時、1つの赤色の点灯が3つに見えるうえ、それらが繋がって輪となる。「三つ巴」(みつどもえ)と呼ばれる家紋の柄のように見えるのだ。危なくてとても運転どころではありません。
そして、不思議なことですが、目が不自由になってくると、声まで聞きづらくなってくるのです。耳で聞いて認識しているつもりでいる情報も、実は相手の表情など視覚によって補われているのでしょう。
そこで、思いつくままに我慢できない不便さを書き綴ってみようと、キーボードを叩き始めたところ、アッという間に21個も書き出されたのでした。
興味のある方は、
「白内障この不便さ!!」をご覧下さい。
すぐに、これまた高校同期の主治医にみてもらい、相談した結果、とっとと手術をしようということになりました。
現在、白内障の手術は眼内レンズを用いる方法が採られていますが、保険診療として扱われるようになって、急激に普及したそうです。そのきっかけとなったのが、共産党の某議員の国会質問だということは、余り知られていない事実のようです。
医療技術の面でも、昔に比べ格段に進歩しており、日帰り手術さえも可能となっていますが、私は大事を取って入院しました。女房が、毎日、月寒にある病院まで国道36号線を車を運転して、面倒を見に来てくれました。日々の電話、来訪等の一覧表も持参してくれ、業務にも支障が出ずに済みました。
私は眼に関しては前科者で、実は20年ほど前、司法試験の段階で一番難しい論文試験を受けた後に間もなく、右目の下一部にシャッターがおりたように暗く見えなくなってきたのでした。網膜剥離という病気です。今は、療法も格段に進歩しているのでしょうが、当時は、眼球を引っ張り出してする面倒な手術で、術後も安定のために顔の両側に3日間砂袋を置かれて絶対安静という、今考えても苛酷な体験でした。
その後、試験にも受かったので万々歳。今では、母が付添い、父が仕事を終えた後、毎日病院に寄ってくれたことも懐かしく思い出されます。
これに比べると、白内障の手術は、手術される側としても“屁”のようなものでした。1眼ずつ2度の手術となるのですが、1度目は、手術前後の見え方を両目で比較でき、手術した眼は全くもってクリアで、手術前の眼が、全体が茶色というか、セピア色に見えていたことがよくわかります。生まれたときのレンズそのもの(水晶体)を新しいもの(眼内レンズ)に取り替えたので、視力自体が向上したのです。
オーバーホールの成果は、概ね良好です。
昨年、久しぶりに高校の同窓会に出席しました。私くらいの年代になると、各自の物事の見方、行動様式において、既に成熟の段階に身を置き、あるいは置きつつある人々と、自分自身がまだまだ育ち盛りで走っているという人々とが、かなり明瞭に区分できるように感じられます。
私はというと、大それた野心とか、明確な展望があるわけではないけれど、とても安寧の段階になっているとは思われず、まだまだ、節目を転機と解釈し直しながら、日々、時間に追われて這いずり回っているほかないのが実情です。
ちなみに、私の事務所の主任秘書に美味しい韓国料理屋に連れて行ってもらった後に、女房と3人で立ち寄った高校同期
「居酒屋 千太郎」というお店、とても美味しかったです。実は、主任秘書に2次会の店の選択を頼んだのですが、何と、主任秘書が案内してくれた店の隣に、「千太郎」があったのでした。
このようなことが、最近頻発するのも、節目の、何かの御縁でしょうか。
ともあれ、私の場合、体重を落とすと、前述のSASのこと以外にも、両手に余る位の問題が一挙に解決し、一定の目標も実現できそうです。ダイエットは、私にとって正に急務です。
先日、朝日放送の全国ネットのニュースのを
取材を受けのですが、残念ながら、声だけの出演であり、どれほどのデブかはご披露できませんでした。
でも、とりあえず、目標は、外に向かって宣言すると実現するという有力説もあるので、試しに、この場を借りて一発。
今年中に、最低5キロ減量します!!
今年の残り4分の3を過ぎた来年の年明けには、ただのデブから引き締まった小デブへ変身した私に会うことができるはずです(爆)。