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“老骨にムチ”、平和を訴える80歳の元特攻兵・菅原茂 前編


05月10日(木) 18時10分
文:東  



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菅原茂氏
 B29が太刀洗飛行場を爆撃、首のもげた体からは血が噴き出していた。

 「不安定の弧」(arc of instabirity)。アメリカは、米軍基地が少ないこともあって国際テロの温床となっている朝鮮半島から中東地域に至るエリアをそう位置づけている。

 2001年9月、アメリカはブッシュ政権で最初の「4年ごとの国防政策見直し」を発表した。米ソ冷戦の終焉後、「不安定な弧」のエリア内では軍事衝突、地域紛争が多発している。新たな脅威が生じるエリア「不安定な弧」に対処すべく、目下、アメリカは世界規模での米軍再編を進めている。

 02年、ブッシュは一般教書演説で、イラン、イラク、北朝鮮の3カ国を「悪の枢軸」(テロ支援国家)と名指しした。

 一方、北朝鮮ではアメリ力帝国主義(米帝)は、憎悪をこめて「ミジェ」と呼ばれている。もちろん、北朝鮮が問題国家であることは否定しようがないが、冷戦終焉後、唯一の超大国となったアメリカが推し進める覇権主義やネオコンの先制攻撃論は、「帝国化」を端的に示す戦略である。

 アメリカが掲げる「テロをなくすための戦争」は、イラクの泥沼化に象徴されるように、武器の拡散や新たなテロを生む皮肉な行為となっている。世界では「不安定な弧」に含まれない各地でも地域紛争、人権弾圧、政府による政治犯の捏造や投獄などさまざまな問題が生じている。

 こうした現状を戦争体験者は、どのように受け止めているのか。札幌市在住の平和活動家・菅原茂は、元日本陸軍総特攻飛行兵長。イラク戦争を決断し、それに追従した日・米・英の首脳を「小泉のガキ、ブッシュのバカ野郎、ブレアの小僧」と一刀両断にする。

 今年80歳になった菅原は、料亭を営む一家の次男として1927年、網走管内滝上町で生まれた。菅原は丘珠空港で目にした陸軍飛行兵の姿に憧れ、17歳の時、水戸陸軍飛行学校に陸軍特別幹部候補生として入学した。

 志願した菅原は「当時、日本は天皇陛下を頂点とした縦社会。世界で最も立派な国だと教えられた。私も天皇陛下と御国のために鬼畜米英を撃滅し、平和を守らなければならないと考える軍国少年だった」と述懐する。

 水戸陸軍飛行学校では飛行機の操縦や無線の操作を学んだ。45年からは浜松の第61戦隊第2教導飛行隊で実践訓練を受け、同年3月、岐阜県各務原の第12輸送飛行隊に転属。

 菅原は3月27日、百式爆撃機「呑龍」(どんりゅう)に無線士として搭乗、台湾に向かった。その途中、広島県呉の上空で米軍の「グラマン」12機に遭遇。急降下し瀬戸内海の島々を這うようにして逃げ、何とか辿り着いたのが福岡県の太刀洗飛行場だった。

 着陸して「飛燕」(三式戦闘機)の製作所を訪れた直後、空襲警報が鳴った。2,000メートルの上空を黒く覆い尽くしたのは、250キロ爆弾を搭載したB29爆撃機の80機編隊。爆弾が降下される轟音も束の間、製作所の梁には爆風で飛ばされた人間の塊が張り付き、地面には首のもげた体から血が噴き出していたという。

 爆風に飛ばされた菅原は、目の前の土管に逃げ込んだ。

 「土管の中には、私が大嫌いなイモリがいた。眼前のイモリと目が合った途端、イモリの赤い腹が動き、私の腹も動いた。この時、私は爆撃で死なずに生きていることを実感することができた。地獄の体験、極限状態の中では、国や天皇陛下ではなく、自分やまだ親孝行をしていない両親の命が大事だった。誰も死にたくはない。這いずり回ってでも生きていたかった」

 こうして九死に一生を得た菅原に新たな命令が下された。沖縄の米軍艦船に「呑龍」で突っ込む総特攻。決行日は8月17日だったが、周知のように8月15日、玉音放送が流された。

 「明日から爆撃はない。生きていること自体が感動だった」と語る。

 以来、菅原は自身の戦争体験を語り、独自の平和運動を続けてきた。

 アメリカとの冷戦、ジェット戦闘機ミグ25の函館空港強行着陸などから日本で「ソ連脅威論」が高まる中、菅原は在札幌ソ連総領事館に「日ソ不戦の誓い」の調印を申し入れ、82年、ソ連に招かれた。レニングラード(現・サンクトペテルブルク)のピスカリョフ墓地で、3,000人の市民が見守る中、戦没者に献花。終戦記念日の8月15日、戦争体験者で組織するソ連の「戦争ベテラン委員会」と不戦の誓いに調印した。

 87年には、10人の隊員で「日ソ友好平和バイク隊」を編成、稚内からサハリン(旧・樺太)のホルムスク(真岡)に到着。沿道はバイク隊を歓迎する地元の人々で埋め尽くされ、平和活動を称えられた菅原は、ソ連政府から平和友好功労賞を贈られた。

 こうした活動は菅原が続けてきた一部にすぎないが、平和を訴える情念は年々強くなっている。後編は菅原のインタビュー。(敬称略)







関連サイト

後編
http://www.bnn-s.com/news/07/05/070511170301.html






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