昨夜、10歳の息子・三四郎とした話。
「おい三四郎、歩いている時、ちゃんと車に気をつけてるか」
(三四郎は自転車で居眠り運転をして、顔がベリベリに擦りむけた“前科”がある)
「ああ」
「車だけ気をつけててもダメだぞ」
「わかってるって」
「ぼ〜っとして歩いていたらホントに危ないぞ。何が起こるかわからんぞ」
「何でだ」
「おとといは兵庫県に住んでる小学校二年生の女の子が家の前で刺されて殺された。きょうは三十歳の母親が一歳半の男の子の遺体をコンクリートに詰めた。二人とも本当に可哀想だな」
「ああ……」
「どうした?」
「……確かに可哀想だけど、交通事故で死んだ子供も可哀想だろ。どっちも死んで生き返らないんだから」
「…………そうだな」(人が死んだ時のニュースは、死に方で扱い方が大きく違う。同じ事故でも、国内であれば、扱いは小さいし、海外で事故に遭えば大きい。殺人の場合も猟奇的であったり、犯人が特定されていないほど大きく取り扱われる傾向がある。家族にとっては、どれも居た堪れない)
(“子供に教えられる”とは、こういうことか…)
俺が唸っていた時、すでに三四郎の視線は、午後九時から始まったテレビドラマ「3年B組金八先生」に注がれていた。