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平和活動家・菅原茂が胡錦濤国家主席に親書


 
辛くも生き延びた元特攻兵が続ける孤高の平和運動。
札幌在住の元日本陸軍総特攻飛行兵長・菅原茂は、第二次世界大戦時、百式爆撃機「呑龍」(どんりゅう)に乗ったまま沖縄の米軍艦船に突っ込むという総特攻の出撃命令を下された。ところが総特攻の決行日は1945年8月17日。終戦によって辛くも死を免れた。
戦争で多くの人が命を失った中、菅原は「生きてこそすべて」との思いを痛感した。以後、菅原は戦争体験を知らしめる語り部として独自の平和活動を続けてきた。
日本で「ソ連脅威論」が高まる中、在札幌ソ連総領事館に「日ソ不戦の誓い」の調印を申し入れ、82年、ソ連に招かれた。菅原はレニングラード(現・サンクトペテルブルク)のピスカリョフ墓地で、3,000人の市民が見守る中、戦没者に献花。終戦記念日である8月15日、ソ連の戦争体験者で組織する「戦争ベテラン委員会」と不戦の誓いに調印した。
87年には、10人の隊員を連ね「日ソ友好平和バイク隊」を編成、稚内からサハリン(旧・樺太)のホルムスク(真岡)に到着。沿道は平和バイク隊を歓迎する地元の人々で埋め尽くされた。菅原は平和運動を称えられ、ソ連政府から平和友好功労賞を贈られた。
一方日中関係は「過去の歴史問題」に加え、小泉純一郎首相が2001年8月13日に靖国神社を参拝したことに端を発し、かつてないほど冷え切った。
これは戦争体験者である菅原の怒りを増幅させるに十分な出来事だった。
菅原は侵略戦争の犠牲者追悼と謝罪を目的に、江沢民主席宛の親書を携え、自費で中国を訪問する準備を整えた。ところが「中華人民共和国駐札幌総領事館の王定國主席領事には、『菅原さんが中国で投石でもされたら困るので、招待します』と言っていただいた」という。
北京市の「人民抗日戦争記念館」を訪れた菅原は、ここで親書を読み上げ、続いて「南京大虐殺記念館」に足を運んだ。南京大虐殺記念館では南京事件の被害者である74歳の中国人女性を紹介された。
「左肩の銃創が痛々しいその女性は『自宅に現れた5人の日本兵によって、祖父、祖母、父を目の前で射殺され、さらに妊娠7カ月だった母が目の前で強姦され、銃剣で刺殺された』と泣きながら明かしてくれた。」菅原は怒りがこみ上げ、ここでも親書を読んだ。親書は南京大虐殺記念館に展示されることとなった。
持病を抱える80歳の菅原は現在も平和活動家として、戦争未体験者に時には耳の痛い極限での戦争体験を伝えている。
今年11月、菅原は再び中華人民共和国駐札幌総領事館に赴いた。「許愛平領事には16日と29日に私の戦争体験と平和活動を計4時間聞いていただいた。私は胡錦濤国家主席に親書をお送りしたいと申しあげた。今月17日、許領事から『親書を送付願いたい』との連絡があり、24日総領事館に送った。親書がこれからどのように扱われるのか、私は何も要望を伝えていないので分かりません」
以下は菅原が胡錦濤国家主席宛に書いた親書。
南京事件七十周年に当たり
胡錦濤国家主席閣下 戦争体験者で日本国民の一人である私は常日ごろから被害者の痛みに真摯に沿うとしない日本国政府の傲慢さに恥ずかしさと怒りを覚えてきました
貴国への侵略を当時の国際情勢下では必然だったかのような視点に立って編集された中学歴史教科書発行を許し国歌君が代(天皇の世)の強制 軍国主義を鼓舞し戦争指導者・A級戦犯をまつる靖国神社への小泉純一郎元首相の参拝です 「真実の歴史」に目を向けようとしない姿勢に心ある国民は強い憤りを感じていました
考えて見ますと 貴国と日本との間には悲しい歴史が横たわっています
柳条湖事件(満州事変)から始まった中日戦争は上海事変 盧溝橋事件を経て 延々十五年も続きます この間には南京大虐殺など目を覆いたくなるような蛮行もあり貴国の人々にもたらした痛みは図りしれません どう言いつくろうと中日戦争は日本の侵略戦争であったと言わざるをえません。中国の死傷者三千万人に及ぶにもかかわらず懐の深い貴国は賠償を放棄し敵国である日本の戦争孤児を育て日本再生へ温かい目を注いでくれました
それをいいことに日本政府は戦争責任をウヤムヤにし被害者であるアジアの人々の痛み悲しみを思いやる誠意がまったくみられなかった
ドイツ連邦共和国元大統領は第二次世界大戦終結四十年の記念式でヒトラーの跳梁を許した反省を込めこう語っています
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」となにやら日本の今を象徴しておりました
現在八十歳の私は青春を第二次世界大戦の中で過ごしました 私の搭乗した爆撃機が 福岡県太刀洗飛行基地に着いて間もなく米軍B29による爆撃で全滅し九死に一生を得ました その時「こんな理不尽な戦争で死にたくない」と自分の「命」の大切さに気が付きかけがえのない自他の生命の相互尊重こそ平和への第一歩であることを確信しました 同時に「国のため 天皇の命令で」死地に赴く仲間たちの無念さに思いをはせました
いま私は平和の貴さを身に染みて感じています
その平和を永遠にするためにも過去に目を閉ざさず「正しい歴史」を子や孫に語り継がなければならないと思います
謝罪と真実の歴史を探る旅に六年前うかがったのはそのためです 「友好第一」御国の政策は成功しました 新しい年を迎えるにあたり「平和友好第一」を提案致します 中日のそして世界のリーダーとしていつまでも続くよう心からお祈りします 最後に謝罪の旅なのに貴国の御招待を受けましたことに 心からお礼申し上げます
上記の内容と歴史観を異にする向きもあるはずだが、親書は第二次世界大戦で九死に一生を得た菅原が「生きてこそすべて」とする人生観を綴ったものにほかならない。(敬称略)







| 「日ソ友好平和バイク隊」の活動を報じる「ソビエツキ―サハリン紙」 |
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| 現地の子どもを自身の50CCバイクに跨がせる菅原氏 |
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| 2004年に刊行した著書「戦火なき世界をめざし 特攻(ぶっとび)人生」 |
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関連サイト

“老骨にムチ”、平和を訴える80歳の元特攻兵・菅原茂 前編
http://www.bnn-s.com/news/07/05/070510180701.html

“老骨にムチ”、平和を訴える80歳の元特攻兵・菅原茂 後編
http://www.bnn-s.com/news/07/05/070511170301.html






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