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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第4回


 
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| 1975年当時の金正日の写真を点検してみると、撮影年月日が明確なショットのなかでは、上掲の写真がメガネをかけたもっとも古い写真で、75年6月23日に撮影されたものである。2段目の左は7月2日、2段目右のメガネをかけておらず、まだあどけなさが残る写真は9月25日の日付となっている。こうしてみると、金正日は1975年半ばからメガネをかけるようになったようになったが、当初は威厳を示すための伊達メガネだった可能性も考えられる |
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第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第4回] 1975年までの対南工作を「零点」と酷評した金正日
33歳で党政治局員兼書記という最高幹部のひとりとなった金正日は、党政治局および党書記局の名義で各機関に対し「唯一指導体系」に基づいた検閲を可能にするため、党組織を改編し、党の核心部署である党組織指導部が党、軍、政府などのすべての権力機関の人事権を握り、すべての機関の全般的事業を指導、検閲できる体制を確立した。そして、党組織指導部内に中央検閲1課、2課を新設し、自分に忠誠を誓う人員を配置した。
党対南事業部の副部長で韓国に亡命したシン・ピョンギル氏は、次のように書いている。
「金正日は党での唯一指導体制〔体系〕確立を基盤に、軍隊----政権基盤(行政・経済・教育科学部門)----対南事業へも手を伸ばしていった。1974年下半期、軍内の党組織に対して、一斉に検閲指導を開始したことで、軍隊にも手を広げた。<略>1975年中盤からその年末まで、北韓の政権機関である政務院の各部・委員会、同行政経済機関を掌握していった」(『金正日と対南工作』現代コリア1999年3月号61頁)
金正日は党組織に続いて人民軍の検閲をおこなったというが、軍に対する検閲は軍部の抵抗にあって、さほどの効果はあがらなかったようである。しかし、金正日は政府に対する検閲と並行して、対南工作部門に唯一指導体系を確立させる行動に移った。対南工作機関に対する検閲は、聖域として建国以来実施されたことはなかったのである。
検閲対象は、対南工作を担当する「党連絡部」、「党文化部」、「党調査部」と傘下の「695政治学校(後の金正日政治軍事大学)」、各地の連絡所、そして、日本や欧州の海外工作拠点など全てとなった。中央検閲1課と2課から派遣された総勢32人の指導員たちによって、1975年6月から対南工作部門に対する徹底的な検閲が開始された。
対南工作部署に対する強圧的な集中検閲は、対南事業担当書記である金仲麟をはじめ、関係部局の幹部たちを震え上がらせた。幹部人事、対南工作員の選抜や配置の問題点の抽出、時期別による対南工作の戦術や展開についての総括、工作台帳(活動記録)による工作経緯の総括などがおこなわれ、文書、個別面談、会議を通じて、過去の失敗や欠陥が次々と暴かれた。
そして、1975年10月25日から10日間、党連絡部、党文化部、党調査部の3機関による合同党総括会議が開かれた。検閲組の責任者である党組織指導部第1副部長の徐允錫が、先ず5時間半におよぶ総括演説をおこなった。徐允錫第1副部長は、過去の対南工作に関して評価できるものは何ひとつない、と対南工作部署を痛烈に批判した。
この総括演説に基づいて、翌日から各部の課長、副課長、責任指導員らも参加して、基本討論が始まった。討議は朝9時から夜12時まで、昼食と夕食の時間を除いて、1日10時間も続行され、参加者全員が自己批判した。金正日は総括報告があった初日を含め、4日間会議に出席して発言を聴取し、出席しなかった日は、その日の議事録のすべてに目を通した。
総括会議の最終日である11月3日、対南事業担当書記の金仲麟、部長の劉章植、李煥基、金周永、副部長の金相鎬、金権漢、趙一明、金国薫、金相洛、任浩君、金赫賛、李東革など幹部全員が自己批判をおこなった。その間、幹部たちは傍聴席から野次られ、激しく攻撃、批判された。あまりの過酷さに、金仲麟は涙を流し、結局3度も自己批判する羽目になった。
最後に、金正日が演説した。
「1950年代から70年代まで、対南工作は一言で言って零点である。これは私の見解ではなく、首領さまに報告した結果、首領さまが出した結論である」(『金正日と対南工作』現代コリア1999年4月号37頁) (つづく) 






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