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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第7回


 
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| 北朝鮮を占領したソ連極東軍第25軍の政治委員だったニコライ・レベジェフ少将は、北朝鮮においては第25軍総司令官イワン・チスチャコフ上級大将に次ぐ権力者だった。政治委員は部隊における政治教育と政治工作を任務としていたが、当時44歳のレベジェフ少将は第25軍の「政治司令官」として、北朝鮮の占領統治に大きな影響力を発揮した。1948年12月にソ連に帰国したレベジェフ退役少将は、その後ソ朝親善協会の副会長として、1962年から85年までに5回ほど北朝鮮を訪れており、1976年には『義務を果たして』という手記を出版している。写真はレベジェフ退役少将本人から、著者がインタビューした際にもらったものである
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第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第7回] 「与えられた解放」による「上からの革命」
1945年8月15日、無条件降伏を要求した連合国によるポツダム宣言を受託するという天皇の玉音放送が流れると、朝鮮半島では「与えられた解放」によって、地下にもぐっていた共産主義者たちが一斉に姿を現わし、獄中にいた共産主義者も自由の身となった。そして、共産主義者たちも非共産主義系の民族主義者たちも、朝鮮の建国を目指して「上からの革命」活動を開始した。
地下抗日組織の「朝鮮建国同盟」を率いていた呂運亨は、8月16日、ソウル市鍾路区にあった徽文中学校の校庭で「朝鮮建国準備委員会(建準)」を結成した。同じ日、転向した共産主義者たちも鍾路区の「長安ビル」に集まり、組織も綱領もないままに共産党を発足させた。3日後(8月19日)、全羅南道光州市でレンガ工として身をひそめていた著名な共産主義者だった朴憲永は、「朝鮮共産党」の再建に取りかかった。そのため、転向派の組織は朝鮮共産党と区別され、「長安派共産党」と呼ばれた。
9月2日、東京湾の米戦艦「ミズーリ」の艦上で日本の降伏調印式がおこなわれ、朝鮮南部が米軍に占領されることが明らかになると、「建準」の呂運亨と朝鮮共産党の朴憲永は9月4日に協議して、米軍が上陸する以前に左右連合政府である「朝鮮人民共和国」を樹立し、米軍と交渉することを取り決めた。9月6日、京畿女子高校において朝鮮人民共和国の樹立が宣言され、17省からなる政府機構の閣僚が任命された。
朝鮮南部に進駐する米第24軍団司令官ジョン・ホッジ中将が、9月8日、仁川に上陸すると、朝鮮人民共和国の代表が米軍を出迎えた。しかし、ホッジ司令官は彼らを相手にせず、翌日、ソウルに入城すると、日本の朝鮮総督府の行政機構をそのまま維持することを決定した。
朝鮮共産党の再建を目指す朴憲永は、9月8日、長安派共産党の活動家たちとともに「朝鮮共産主義熱誠者大会」を開き、全共産党員から党再建の委任を取り付けることに成功した。そして9月11日、朝鮮共産党が正式に再建され、朴憲永が総書記に就任し、政治局員には朴憲永、李舟河、姜進、李廷允、権五稷の5人が選出された。そして、キム・イルソン、金武亭、崔昌益の3人が国外から帰国すれば、政治局員に加えられることとなった。ただし、このときに想定されていたキム・イルソンは、咸鏡道出身の当時50歳前後の伝説的な英雄で、彼の名前を詐称していた当時33歳の金日成のことではなかった。
政治局員のうち李舟河だけは38度線以北にいたが、この他に、朴憲永と親密な呉◎燮、朱寧河、玄俊赫などの共産主義者たちも、北朝鮮にいた。ソウルで建準が結成された翌日、平壌でも「朝鮮のガンジー」と呼ばれていた民族派キリスト教徒の★晩植を委員長とする「建準平安南道支部」が結成された。
平壌に入城したソ連第25軍総司令官チスチャコフ上級大将は、★晩植と平安南道共産党委員長だった玄俊赫を呼んで、「平安南道人民政治委員会」を作るよう命じた結果、8月27日に平安南道人民政治委員会が成立した。そして、道単位で人民委員会が組織されたが、平安南道以外は「人民政治委員会」ではなく「人民委員会」という名称だった。
ソ連極東部の秘密基地にいた金日成はこうした動きとは無関係に、朝鮮解放から1カ月以上たった9月22日、60人ほどの部下たち(後に彼らは「満洲パルチザン派」と呼ばれることになる)とともに、20年ぶりに平壌に帰還した。ソ連軍は金日成の帰国にあたって、李東華、愈成哲、文日(文エリー)、金鳳律など第88特別旅団に勤務していた14人のソ連籍朝鮮人を同行させた(後に彼らは「ソ連派」と呼ばれることになる)。
「平壌市衛戍司令部(警備司令部)副司令官」の肩書きで帰国した金日成大尉は、副官で通訳の文エリーを同行して、ソ連第25軍政治委員のニコライ・レベジェフ少将に挨拶に行った。
「金日成が平壌に到着した2、3日後に、第25軍司令部にやって来て、私たちは握手をしました。彼はソ連からパルチザン部隊と一緒に到着したと言い、祖国のために働きたいと述べました。同時に、朝鮮民族を解放した赤軍に対して、感謝の意を表わしました」
レベジェフ退役少将は、1992年の私とのインタビューで以上のように語り、「彼は若くて大変ハンサムで、好感がもてました」と笑った。(つづく)
◎は棋のキヘンがオウヘン ★は恵の心が日 






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