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「帝国」の暴走、「属国」の従順 第3回


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01月18日(金) 12時40分
文:東 写真:東 |
 
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| 酷暑のバグダッドに駐留する米兵は、装甲車の中に氷柱を入れ、2ダースのペプシも置いていた(2003年撮影) |
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フセインの大量虐殺事件を訴追しなかったアメリカの“思惑”。
2006年12月30日、サダム・フセイン元大統領の絞首刑が執行された。遺体は翌日、故郷であるイラク・ティクリート近郊のアウジャ村に埋葬された。独裁者はアメリカのイラク攻撃による政権崩壊から約8カ月を経た03年12月、潜伏していたティクリート近郊で米軍によって“生け捕り”にされた。
在日米国大使館のHPには、「サダム・フセイン政権によるこれまでの抑圧と残虐行為」(下記URL)と題した独裁者の数々の残虐行為が列挙されている。
にもかかわらず、独裁者は04年7月の特別法廷予備尋問で「本当の犯罪者はブッシュ(大統領)だ」と反論した。
結局、フセインは1982年、イスラム教シーア派住民148人を殺害したとされる「ドジャイル事件」で05年に起訴され、「人道に対する罪」で06年12月26日、死刑が確定した。
数々の非人道的行為を繰り返したフセインの犯罪の中でも代表的なものは「ハラブジャ事件」である。イラン・イラク戦争のさなかである88年3月、フセイン政権はイランとの国境に近いクルド人居住区のハラブジャの町民がイランを支援したとして毒ガスなどの化学兵器を用いて、およそ5,000人を殺害した。
このようなジェノサイドがあったことに反し、アメリカはフセイン政権が「ハラブジャ事件」で化学兵器を使ったことには言及していない。第2回で記述したように、ラムズフェルド元国防長官は、83年12月、バグダッドでフセインと会談しており、その前年にはレーガン政権がイラクをテロ支援国家から除外している。
フセインが絶大な権力を保持した背景には、アメリカとの蜜月関係があり、「ハラブジャ事件」が起こった時も、その関係は続いていた。イラン・イラク戦争時、イランの台頭を危惧したアメリカは、物資両面でイラクを支援しており、フセインが起訴された罪状に最も残虐な「ハラブジャ事件」を加えることはなかった。
本来、集団殺害や戦争犯罪を犯した国家指導者は、国際刑事裁判所(ICC:International Criminal Court)で審理される。ところが独裁者を裁いたのは事実上、イラクの法廷という場を借りたアメリカだった。これはアメリカとイラクがICCの非署名国であることも要因だろう。
前述したフセインの「本当の犯罪者はブッシュ(大統領)だ」との発言は、史実を振り返れると、的外れとは言い難い。
広く知られるようにアメリカがイラクを攻撃した際の開戦理由は、大量破壊兵器の存在だった。大量破壊兵器をイラクで発見できなかったことは、ブッシュ政権に大きな打撃を与えたが、アメリカはフセインが「ハラブジャ事件」で大量破壊兵器を使ったことを熟知しており、それが大量破壊兵器の存在理由になっていたとしても不思議はない。
世界最強の軍事国家であるアメリカは、その帝国主義的野望のもと、長年の経済制裁で疲弊しきったイラクを崩壊させた。ブッシュ政権には、あるべきはずの侵略戦争という概念は存在せず、先制攻撃の正当性をいかに喧伝するか、こそが重要だった。(つづく)







| ティクリートのメインゲート。壁画には、「敵国」イスラエルにミサイルを撃ち込むイラク軍が描かれていた(2003年撮影) |
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関連サイト

在日米国大使館 サダム・フセイン政権によるこれまでの抑圧と残虐行為
http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20030428d2.html

シリーズ一括読み
http://www.bnn-s.com/news/series_cd147.html






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