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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第9回


 
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| 朝鮮解放から遅れること1カ月、1945年9月19日、ソ連の軍艦「プガチョフ号」に乗ってきた金日成たちが密かに上陸したのは、北朝鮮における日本海側の窓口ともいうべき元山港だった。元山港と新潟西港との間では、不定期ながら貨客船の航路が開設され、初代の「万景峰号」が就航したのは1971年5月のことだった。続いて1979年には2代目の貨客船「三池淵号」が就航し、3代目の「万景峰92号」は1992年6月に日本に初入港したが、2006年7月の北朝鮮によるミサイル連射実験に対する制裁によって、現在は日本への入港は禁止されている。写真は、元山港桟橋に停泊する「三池淵号」で、1987年10月に著者が撮影したものである |
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第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第9回] 満洲パルチザン派とソ連派が開設した「平壌学院」
金日成がソ連軍歓迎集会で初めて姿を現わす2日前(10月12日)、ソ連占領軍のチスチャコフ総司令官は声明書を発表し、各種の武装団体の解散と、保有する武器弾薬を差し出すことを命じるとともに、治安維持のための「保安隊」の創設を命じた。平壌市警備司令部副司令官だった金日成を指揮官とする約2000名の保安隊が、11月初旬に発足し、ソ連籍朝鮮人の方学世が影の責任者となった。保安隊は本部を南浦鎮(当時)に置き、5つの道に「道保安隊」が設置された(塚本勝一『北朝鮮、軍と政治』11頁、徐大粛『金日成』80頁)。
金日成研究で知られるハワイ大学の徐大粛教授は、次のように記述している。
「1945年11月には、はやくも軍の士官および党の幹部を養成する目的で平壌学院が作られ、満州における東北抗日連軍第2方面軍で活躍した金策が院長となり、ソ連派の奇石福が校務主任を勤めた」(『金日成』115頁)
南朝鮮労働党の地下党総責任者で、1950年代に北朝鮮の文化宣伝省欧州部長を務めていた朴甲東氏は、「平壌学院」について次のように書いている。
「1946年1月3日、軍事テロ分子訓練機関として、平壌学院を開校した。院長はソ連の第88偵察旅団でいっしょに活動した金策、校務主任はソ連の中央アジアから来た奇石福であった。この平壌学院が北の軍官学校の前身であった。ここでロシア語とソ連式軍事調練を教えた」(朴甲東『証言・金日成との闘争記』66頁)
元朝鮮労働党幹部で、北朝鮮の建国当時の事情に精通し、現在はヨーロッパで亡命生活を送っている徐容奎(仮名)氏は、次のように証言している。
「労働者階級から新しい人材を発掘する課題は、平壌学院へ入学を推薦する形で推進されました。この学院は1945年10月18日に開校され、11月中旬に第1期生を卒業させました。彼らは、地方に行ったパルチザン派が推薦した人たちだったのです」(『作られた英雄・金日成』46頁)
金日成は、9月19日、ソ連から元山港に上陸した際、情報収集のために部下たちを各地に派遣していた。金一を平安北道に、朴成哲と崔春国を咸鏡北道に、呉振宇を会寧に、崔賢を恵山に送り、地方情勢の把握に努めていたが、徐容奎氏によれば、金日成は彼らに人材発掘の任務も与えていたのだという。
今のところ平壌学院の創立日を確定することができないものの、1967年に民族問題研究会という団体が発行した『朝鮮戦争史』(30頁)も、平壌学院は10月に設立されたとしており、徐容奎証言の「10月18日」というのが、もっとも有力と考えられる。
いずれにせよ、金日成は公に活動するようになった直後、ソ連派の協力を得て国内派の共産主義勢力に対抗するため「平壌学院」を設立し、満洲パルチザン派を教官とし、有能な人材を地方から平壌に集めて、政治や軍事の分野での幹部育成を始めたのだった。
南浦鎮に開設された平壌学院に速成コースもあったようだが、通常の修了期間は1年で、女性幹部や対南工作専門の幹部などの養成もおこなわれたという(塚本勝一『北朝鮮、軍と政治』17頁)。平壌学院には政治班と軍事班があり、第1期生は前者が84名、後者は100名以上だった(『作られた英雄・金日成』46頁)。
チスチャコフ総司令官は10月12日の声明書で、「結社の自由」ではないものの「反日団体の結成を許可」しており、10月18日、「北朝鮮女性同盟(後の朝鮮民主女性同盟)」が結成され、委員長にはソ連で教育を受けロシア語が堪能な朴正愛が就任した。
民族派キリスト教徒(長老派)の★晩植は、11月3日、「朝鮮民主党」を結成した。金日成は朝鮮民主党の成立を支援し、満洲パルチザン派の崔庸健保安局長を副委員長として送り込んだ。この事実は、金日成が同じ長老派教会に属するキリスト教徒の家庭出身だったということ以上に、当時はまだ国内派とソ連派が優勢だった朝鮮共産党「北部朝鮮分局」に対抗できる党組織を、金日成が必要としていたことを物語っている。(つづく)
★は恵の心が日 






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