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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第15回


 
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| 1946年8月の「北朝鮮労働党創立大会」の後、党委員長には金日成ではなく、朝鮮新民党の委員長だった金△奉が選出されたが、この写真はその年の冬に撮影されたと推定される。写真の前列右手から、金策(平壌学院院長、パルチザン派)、イグナチェフ大佐、金△奉(委員長・政治委員、延安派)、レベジェフ少将、金日成(副委員長・政治委員)、許哥而(政治委員、ソ連派)、後列は右から2人のソ連軍人の氏名は不明だが、中央のメガネをかけているのが朱寧河(副委員長・政治委員、国内派)、軍服姿の朴一禹(保安局長、延安派)、崔昌益(政治委員、延安派)という北朝鮮労働党の最高幹部が並んでいる。この写真は著者がレベジェフ少将から直接入手したものである |
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第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第15回] 1947年2月、金日成が北朝鮮人民委員会の委員長に就任
「朴憲永が北に定住する場合に備えて、様々な準備がなされました。現在の平壌の南山近くにある女性同盟中央委員会や人民大学習堂の手前付近に、朝鮮式の大きな家が自宅として用意されました。そのため、朴憲永は10月11日に平壌に来ると、すぐそこに入ることができたのです。朴憲永は朝鮮戦争前まで、この家を自宅として使用しました。
ソ連製の乗用車も別途に支給されました。北に入ってから、自宅から少し離れた所に、日帝時代に小さな会社が使っていた赤い洋風の家が事務所として、提供されました。この事務室がのちに対南連絡を管掌した中央連絡所となったのです。その後、海州連絡所が別につくられ、対南業務を担当するようになりました。事務室以外にも朴憲永の活動を助けるために、出版社や、南北交易の窓口として襄陽、漣川などに商社、財務調達用の鉱山および企業所がそれぞれ提供されました」(『作られた英雄・金日成』171頁)
元朝鮮労働党幹部で、北朝鮮の建国事情に精通している亡命者の徐容奎(仮名)氏は、以上のように証言している。
北朝鮮労働党が結成された直後の9月5日、土地改革、8時間労働、農業現物税、男女平等、重要産業国有化と続いた革命的改革の仕上げともいうべき新選挙法(人民委員会選挙に関する決定書および規定)が公布された。
選挙のための選挙人を確定するため、その1カ月前の8月9日、北朝鮮臨時人民委員会は「公民証に関する決定書」を公布し、北朝鮮に居住する住民に対し、9月1日から12月31日までに公民証を配布すると発表していた。
しかし、まだ全住民に公民証がいき届いていない11月3日、北朝鮮において初めて、道・市・郡単位の人民委員会選挙が実施された。この選挙はソ連方式を導入して、投票用紙を候補者に賛成なら白い箱、反対なら黒い箱に入れるというものだった。こうした共産主義体制独特の統制された選挙によって、初めての選挙の投票率は99.5パーセント、候補者賛成票は80.63パーセントと発表された。この数字は、当時はまだ住民の2割は黒い投票箱に反対票を入れる勇気があったことを示している。
年が改まった1947年の1月3日、北朝鮮占領統治の最高責任者であるシュトゥイコフ上級大将(沿海州軍管区政治委員)は、占領軍総司令官のチスチャコフ上級大将、民政司令官のロマネンコ少将、そして金日成を、軍管区司令部があるヴォロシロフ(現在のウスリスク) に招集した。ヴォロシロフはその7年前に金日成が不法越境して、約1カ月拘束されていたところだった(第1部第34回参照)。
3日間にわたって開かれたヴォロシロフの会合で、シュトゥイコフは北朝鮮にソビエト政権を樹立する手筈を、金日成たちに細かく指示した。
シュトゥイコフの指示に基づいて、2月17日から3日間、選挙で選ばれた代表1600人が参加した道・市・郡人民委員会大会が開催された。そして、北朝鮮初の立法機関である「北朝鮮人民会議」の代議員237人が選ばれ、議長には金△奉(北朝鮮労働党委員長、延安派)、副委員長には崔庸健(朝鮮民主党委員長、満洲派)と金達鉉(北朝鮮天道教青友党委員長、国内派)が選出された。また、北朝鮮臨時人民委員会を「北朝鮮人民委員会」に改編して、最高行政機関とすることを決定した。
大会翌日の2月21日、北朝鮮人民委員会が開催され、委員長に金日成が選出され、副委員長には金策(満洲派)と洪箕▽(朝鮮民主党副委員長、国内派)が選ばれた。そして、北朝鮮臨時人民委員会の12局4部(産業局、交通局、農林局、財政局、逓信局、商業局、教育局、保健局、司法局、保安局、企画局、労働局、宣伝部、総務部、糧政部、幹部部)のうち、保安局は内務局に改編され、外務局と人民検閲局の2局が新設された。
こうして、形式的ではあるものの選挙によって選ばれた「人民政府」が成立した。北朝鮮臨時人民委員会の委員長で延安派の重鎮だった金△奉は、シュトゥイコフのシナリオによって立法府の議長に祭り上げられ、人民政府の首相とも言うべき北朝鮮人民委員会委員長には金日成が就任したのだった。(つづく)
△はキヘンに斗 ▽は田に壽 






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