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難民支援に従事、林直光カメラマンが語るコソボ独立までの「軌跡」


02月19日(火) 19時00分
文:東  



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林直光氏
 「10分以内に立ち退け」とアルバニア系住民に銃を突きつけたセルビアの警官。

 セルビア南部のコソボ自治州政府が17日に独立宣言した。

 セルビアやギリシャ、ブルガリアなどからなるバルカン半島は、さまざまな民族と宗教が混在している。4世紀の東ローマ帝国以降、オスマン帝国、オーストリア・ハンガリー帝国など多民族国家の支配が続き、内戦や民族紛争が生じたことから、「ヨーロッパの火薬庫」とも呼ばれている。

 第1次世界大戦の勃発も火薬庫での出来事が発端だった。1914年、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子であるフランツ・フェルディナント夫妻が同国領だったサラエボ(現ボスニア・ヘルツェゴビナ首都)を視察中、セルビア民族主義者が結成した秘密組織「黒手組」に属するガヴリロ・プリンツィプが皇太子を暗殺、これを機に第1次世界大戦が起こった。

 1918年、オーストリアが大戦で敗北、帝政が崩壊したため、セルビア・クロアチア・スロベニア王国が建国(1929年、ユーゴスラビア王国に改称)された。1944年、ヨシップ・ブロズ・チトー首相の下、6つの共和国で構成するユーゴスラビア社会主義連邦共和国が誕生した。

 しかし、ユーゴスラビアを構成する共和国は、1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニア、翌年にはボスニア・ヘルツェゴビナ、2006年にはモンテネグロが独立した。この間、セルビア主導のユーゴスラビア連邦軍は、スロベニアやクロアチアと衝突、虐殺や略奪、強姦が繰り返された。

 一方、コソボは第2次世界大戦後、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の自治州となった。コソボは約9割がイスラム教徒であるスラブ系住民、セルビア正教を信仰するセルビア人約1割のほか、少数のロマ系、トルコ系住民で構成されている。コソボはセルビア正教の発祥地であり、この地を守りたいセルビア人とコソボ人口の大半を占めるアルバニア系住民の葛藤は根深い。
 
 1980年代からコソボ自治州のアルバニア系住民がユーゴスラビアに共和国の地位を求めたため、1989年、ユーゴスラビアのミロシェビッチ大統領(後に旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所に移送され、収監中に病死)がコソボの自治権を縮小した。1990年には住民投票を経てアルバニア系住民が「コソボ共和国」の独立宣言したため、ユーゴスラビアは州議会の解散、自治権剥奪などの弾圧を強めた。

 さらにミロシェビッチ政権が、特定の民族を迫害、追放、殺戮する激しい民族浄化(エスニック・クレンジング)を行ったことから、1998年2月にはアルバニア系のコソボ解放軍とセビリア治安部隊が衝突、ユーゴスラビア軍も介入し、紛争が激化した。

 NATO(北大西洋条約機構)は、国際社会の和平案を拒んだユーゴスラビア政府の民族浄化が激化することを懸念、1999年3月24日から80日間、コソボ紛争の制裁を理由にユーゴスラビアを空爆した。空爆後、セルビア治安部隊がアルバニア系住民の掃討を強化、アルバニア系住民が隣国のアルバニアやマケドニアに流出した。

 1999年5月、G8の外相で合意した和平案をベースに和平交渉が行われ、6月に国連安保理決議1244が採択されて、武力紛争は終結した。

 札幌在住のフォトジャーナリスト・林直光氏(48)は、これまでに取材やNGO活動でイラク、アフガニスタン、東ティモールなど世界の紛争地帯を訪れている。林氏はコソボ難民を支援するNGO「ピース・ウインズ・ジャパン」(PWJ)の難民救援活動事前調査のため、1999年4月20日、アルバニアを訪れた。国連難民高等弁務官事務所の協力を得て、同年5月4日まで、アルバニアのクケスやマケドニアのブラズダなどの難民キャンプで支援活動に従事した。

 林氏にコソボ難民とコソボ自治州政府の独立を聞いた。

 「アルバニア北部のモリナ国境に入った難民は、コソボ自治州から逃げて来た理由を当時こう話した。『いきなりセルビアの警官が家にやって来て、10分以内に立ち退けと言って銃を突きつけられた。とにかく恐ろしく何も準備ができないまま、1台の車に7、8人が乗ってアルバニアに避難した。警官に逆らえば、その場で撃たれるため、家にいなかった家族とは別れることになってしまった。自治州には死体がゴロゴロと転がっていた』。難民は自分の車やバスに大量に詰め込まれ、アルバニアやマケドニアに追放された。キャンプのトイレは穴を掘って、シートで囲っただけのもので悪臭が漂っていた」

 「アルバニアでは、NATOが設置したキャンプだけでは難民を収容しきれず、余裕のある家庭がホストファミリーとして受け入れた。中にはトラクターの荷台で暮らし、水で練って揚げただけの小麦粉を食べている人もいたが、キャンプではイタリア軍が茹でたマカロニやパンを配給していた。一方、キリスト教系のマケドニア正教を信仰する人が多いマケドニアでは、管理が厳しくキャンプから出ることも、海外から来た家族が入ることもできなかった。コソボ難民は『ミロシェビッチを悪魔だ』と言っていた。NATOの空爆は誤爆もあったが、キャンプに逃げて来た難民の多くは空爆に賛同し、『一刻も早く地上軍をいれなければ、コソボは解放されない』と語っていた」

 「コソボ紛争後、難民が戻ったため、コソボ自治州では従来からの勢力が逆転し、セルビア人が弱い立場となった。最初に攻撃されたアルバニア系住民が独立したいと考えるのは当然のことだ」










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