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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第18回


 
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| 一番上の写真は、1977年に発行された写真集『偉大なる愛の道』に掲載された「内閣首相に推戴される敬愛する首領キム・イルソン主席」、真ん中の写真は1995年に発行された『栄光の50年』に掲載された「内閣首相に推戴された偉大な領袖金日成同志」、下の写真は、1948年9月8日に最高人民会議第1回会議で撮影された上2枚の偽造される前のオリジナル写真である(韓国・中央日報社『秘録・朝鮮民主主義人民共和国』上巻400頁)。金日成の左隣の椅子に座っているメガネをかけた人物が朴憲永で、金日成と朴憲永の間に頭を下げた人物(上の2枚の写真では黒く塗り潰されている)がソ連派の許哥而、朴憲永の左の椅子に座っている細面の人物が金策である。真ん中の写真は朴憲永の顔に金策を貼り付けて改竄したと思われるが、一番上の偽造された写真については、金日成の左隣を誰にしようとしたのか判断できない |
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第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第18回] 正規軍は「北朝鮮人民軍」ではなく「朝鮮人民軍」と命名
北朝鮮の対南工作員が密かに38度線を越えて南下している一方で、土地改革令や国有化令によって資産を失った人びとや、共産主義統治を嫌った知識人たちが、難民同然の姿で北朝鮮から38度線を越えていった。その数は1947年末までに、北朝鮮人口の1割を超える111万6600人に達したという(スカラピーノ編『今日の北朝鮮』)。この人材不足が、さらに北朝鮮を拉致国家にしたのである。
1948年2月4日、北朝鮮人民委員会は国防省に相当する「民族保衛局」を新設し、平壌学院院長だった満洲派の金策を局長に任命した。その4日後(2月8日)、北朝鮮人民集団軍は「朝鮮人民軍」と改称され、6万人にも達していた兵力を正式な軍隊として発足させた。それまでの命名方式で「北朝鮮人民軍」とすべきところを、正規軍だけは敢えて「朝鮮人民軍」にしている。総司令官には崔庸健が再任され、崔庸健は人民軍発足の式典パレードの挨拶で「我らの首領金日成」と、金日成を初めて「首領」と呼んだ。
3月27日、北朝鮮労働党第2回党大会が開かれ、金日成はソ連派と組んで国内派を激しく非難した。その結果、大会以降、国内派の勢力は徐々に後退していった。また、党宣伝部長は延安派の金昌満が解任され、ソ連派の朴昌玉が後任となった。
南では5月10日に予定されていた制憲国会選挙(総選挙)に対して、南朝鮮労働党がゼネストを敢行すると同時に、ゲリラ戦を活発化させた。その頂点が、一般住民の大量虐殺にまで至った「済州島4・3事件」だった。この事件は済州島全体を揺さぶり、余波は8年間も続いて、計6万人が殺戮されたといわれている。
総選挙を阻止するため、南の政党や社会団体が越北して、4月20日から平壌で南北連席会議が開催された。抗日運動の指導者だった金九、金奎植、趙素昴たちが南から参加し、外国軍の南北同時撤退や臨時政府樹立を論議し、5月5日にソウルに戻った金九が共同声明を発表した。このとき、越北した白南雲や洪命憙たちは平壌に残ることになったが、後に副首相になった洪命憙の娘は金日成の愛人となっている(第2部第10回参照)。
しかし、南では総選挙への流れを食い止めることはできず、予定された政治日程に従って、5月10日、国連臨時朝鮮委員会の監視のもとで総選挙が実施され、5月31日、制憲国会が開会し、7月1日、国会は国号を「大韓民国」とすることを決議した。7月17日、大韓民国憲法が制定され、解放3周年にあたる8月15日、李承晩を大統領とする大韓民国が樹立された。9月5日、兵力2万5千人の国防警備隊を陸軍に、海上警備隊を海軍に改編して正規軍が成立したが、空軍は遅れて翌年10月12日に創設された。
こうした大韓民国の単独政権樹立の動きのなかで、北朝鮮では7月24日に新国旗が制定され、太極旗の廃止が宣言された。8月25日、最高人民会議の代議員選挙が実施され、9月2日から最高人民会議第1回会議が開催された。9月8日、最高人民会議は、議長に南朝鮮労働党委員長の許憲を選出し、法理論的には国家元首に相当する最高人民会議常任委員会委員長に、北朝鮮労働党委員長だった金△奉を選した。金△奉は金日成総合大学総長にも任命され、兼職することになった。同日、スターリン憲法を見本にした朝鮮民主主義人民共和国憲法が採択されたが、この憲法では朝鮮民主主義人民共和国の首都は平壌ではなくソウルとなっていた。
そして、共和国政府が組織され、内閣首相に金日成、3人制の副首相には、外相兼務の朴憲永(南労党)、産業相兼務の金策(満洲派)、越北したばかりの洪命憙(国内派)が選出された。民族保衛相には朝鮮人民軍総司令官の崔庸健 (満洲派)が兼務することになり、延安派からは内務相の朴一禹、財政相の崔昌益、文化宣伝相の許貞淑、国家検閲相の金元鳳、労働相の許成沢、保健相の李炳南と6人が入閣した。南労党派から司法相に李承×、農林相に朴文圭、北労党から交通相に朱寧河、商業相に張時雨、国内派から教育相に白南雲(南朝鮮人民党)、逓信相に金廷柱(天道教青友党)、都市経営相に李▼(新進党)、他に副首相に次ぐ序列である国家計画委員会委員長に鄭準沢(技術官僚出身)、無任所相に朝鮮語学者の李克魯(国内派)が任命された。初内閣にはソ連派はひとりも入閣しなかったが、ソ連派は許哥而を中心として党と軍を握っていた。
その翌日、1948年9月9日、朝鮮民主主義人民共和国の樹立が内外に宣言された。(つづく)
△はキヘンに斗 ×は火に華 ▼は傭のニンベンがカネヘン 






関連サイト

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