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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第20回


 
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| 上の写真は1949年3月5日、左端のクレムリン警備隊員(左端)に案内され、スターリンとの会議場に向かうため、雪のクレムリン内を進む北朝鮮政府代表団の一行。金日成(左から2人目)の右のメガネをかけているのが朴憲永副首相兼外相、その右奥が洪命憙副首相である。下の写真はクレムリン内にある帝政ロシア時代の元老院の建物で、ソ連時代には「閣僚会議館」と呼ばれ、歴代共産党書記長の執務室があったが、現在は大統領府となっている。スターリンと金日成の会談は、この建物内でおこなわれた(写真は1980年に著者が撮影) |
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第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第20回] 北朝鮮の長い国名はロシア語案を誤訳したものである
朝鮮半島において1948年に誕生した2つの共和国では、韓国が「北伐統一」、北朝鮮が「国土完整」という標語を掲げ、ともに武力統一を目指していた。
朝鮮民主主義人民共和国という長い国名は、ソ連占領軍(第25軍)の政治委員だったレベジェフ少将が案出したもので、「カレイスカヤ・ナロードナ・デモクラチチェスカヤ・レスプブリカ(朝鮮の人民民主主義の共和国)」の朝鮮語訳だったが、正確に訳すならば「朝鮮人民民主主義共和国」とすべきだったが、現在の国名になった理由は不明である。ちなみに、民族保衛省という耳慣れない官庁名も「ミニステルストヴォ・ナチオナルヌイ・オボロヌイ」の直訳である。
金日成は初代首相という名実ともに第一人者となったものの、政府機関の形成と行政活動が忙しく、1956年までは党内活動に専念できず、党を掌握していなかったと告白している(「党事業を改善し、党代表者会の決定を貫徹することについて」金日成著作集第21卷136頁、朝鮮文。鐸木昌之『北朝鮮、社会主義と伝統の共鳴』51頁)。金日成は政府機関、特に朝鮮人民軍の拡充に力を注ぎ、党組織は朝鮮系ソ連人(ソ連派)に委ねられていた。
1948年9月、党中央委員会総会が開かれ、党活動を統括する「組織委員会」が新設され、金日成が委員長に就任したものの、ソ連派である許哥誼、金烈、朴昌玉、朴英善の4人が委員となった。党組織は、北朝鮮労働党第2回大会(1948年3月)の時点で、党中央の専門部署として、組織部、宣伝煽動部、幹部部、財政経理部、農民部、労働部の6つがあったことが判明している (『北朝鮮、社会主義と伝統の共鳴』65頁)。党組織のなかには、対南連絡を担当していた「連絡室」(第13回参照)があったはずであるが、その存在は公式資料などで確認することができない。
建国から1カ月ほどたった10月12日、北朝鮮はソ連との外交関係を正式に樹立し、初代ソ連駐在大使に国内派の朱寧河(交通相)が任命され、ソ連側は占領統治の最高権力者だったシュトゥイコフ上級大将 (沿海州軍管区政治委員)を朝鮮駐在の初代大使とした。ソ連政府は年内の占領軍撤兵を約束し、3000人の軍事顧問団を残して、12月24日までに全兵力を帰還させた。26日には平壌でソ連軍歓送平壌市群衆大会が開催され、ソ連占領軍の撤退は完了した。
年が改まった1949年2月22日、金日成首相は建国初となる政府代表団を率いて、鉄道でソ連訪問に出発した。随員は副首相兼外相の朴憲永、洪命憙副首相、鄭準沢国家計画委員会委員長、張時雨商業相、白南雲教育相、金廷柱逓信相の6人だった。3月4日、代表団はモスクワに到着し、翌5日にスターリンとクレムリンで会談した。
スターリンが韓国の駐留米軍と韓国軍の兵力について尋ねると、金日成は米軍は「2万人未満」、韓国軍は「約6万人」だと答えた。南北の軍隊はどちらが強いのかとの質問に対しては、朴憲永が北朝鮮だと返答した(トルクノフ『朝鮮戦争の謎と真実』33頁)。3月14日にも、金日成と朴憲永はスターリンとモロトフと会談し、この席で金日成たちは南北を武力統一する「国土完整」の希望をスターリンに伝えたが、スターリンはそれを許さなかった(和田春樹『北朝鮮』88頁)。
3月17日、北朝鮮の「人民経済発展2カ年計画」の支援のためソ朝経済文化協力協定が締結された後、代表団は4月7日に帰国した。金日成はスターリンとの会談において秘密の軍事援助協定を結ぶことに成功しており、実り多い旅となった。
4月23日、中国人民解放軍は揚子江を越えて、南京を陥落させ、中国革命が成就する日が間近に迫っていた。金日成は民族保衛副相の金一中将を秘密特使として中国共産党指導部に派遣し、中国革命に参加した朝鮮族部隊を北朝鮮に回してくれるように求めると、毛沢東は2個師団の派遣を承諾した。
そして、金日成は権力掌握の最後の総仕上げとして、南北の労働党を統合するため、6月30日、南北労働党連合中央委員会を開催した。会議では南北が合体した「朝鮮労働党」という正式名称が採択され、党大会を開かないまま党中央委員会のメンバーを一新した。委員長は金日成、第1副委員長が朴憲永、第2副委員長が許哥誼となり、3人の書記、9人の政治委員会委員を選出し、組織委員会は11名に拡大された(徐大粛『金日成』106頁)。そして、専門部署は既存の6つ(但し財政経理部は財政部と改称、労働部は社会部に改編)に加え、青年部、婦人部、そして機要課が新設された。(つづく) 






関連サイト

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[第10回]金日成が新設した党幹部養成機関「党熱誠者学校」
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[第11回]非業の死を遂げた民族派キリスト教徒の★晩植
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http://www.bnn-s.com/news/08/02/080201113144.html

[第13回]金日成を北朝鮮の指導者に決めたスターリン
http://www.bnn-s.com/news/08/02/080205102242.html

[第14回]ソ連占領軍が描いたシナリオで動いた金日成
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[第15回]1947年2月、金日成が北朝鮮人民委員会の委員長に就任
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[第16回]朝鮮人民軍の原型が整ったのは解放から2年後だった
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[第17回]2つあった対南工作員を養成する専門教育機関
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[第39回]朝鮮戦争後に組織改編された対南工作機関
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[第40回]1950年代に日本に潜入していた工作員は内務省所属
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[第41回]朝鮮戦争直後の拉致の疑いが濃厚な「特定失踪者」
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[第43回]国家情報委員会と内閣情報総局は実在していたのか
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