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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第22回


 
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| 1950年6月28日、ソウル市内の鍾路街を疾走する朝鮮人民軍第105戦車旅団のソ連製T34-85戦車。T34-85戦車の乗員は4人、当時としては最大口径の85ミリ戦車砲を搭載し、7.62ミリ機関銃2挺を装備し、36トンの重量ながら時速50キロで走行する性能をもつ最新型戦車だった。当時の韓国軍は戦車を1両も保有しておらず、85ミリ砲戦車などは見たこともない「怪物」だった。朝鮮人民軍は242両の戦車部隊の投入によって、開戦からわずか3日間でソウルを陥落させることができたのだった |
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第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第22回] アチソン演説の後に金日成の南侵統一を承認したスターリン
金日成が1949年に訪ソして、3月25日に結んだ秘密の軍事援助協定は、次のような内容になっていた(林建彦『北朝鮮と南朝鮮』51頁、塚本勝一『北朝鮮・軍と政治』34頁などを参考)。
(1)既存の3個師団と1個旅団の他に、新たな6個師団ぶんの装備を供与する。
(2)T34戦車など500両を供与し、戦車旅団2個の編成を支援する。
(3)戦闘機100機、軽爆撃機30機、偵察機20機などを供与し、空軍の強化を支援する。
(4)120人以下の軍事顧問を増派する。
(5)機動保安大隊7個ぶんの装備など、10億ウォン相当の軍需品を供与する。
スターリンはその代償として、北朝鮮北部の清津、羅津、雄基の3港をソ連の潜水艦基地として30年間の使用を認めさせたのだった(金学俊『北朝鮮50年史』143頁)。
この秘密軍事協定は、速やかに実施された。しかし、戦車師団建設の担当だったソ連軍事顧問団のクバノフ中将は、朝鮮の地形は戦車の集中投入に適さないと判断して、戦車数を半減して242両として、1949年5月、第105戦車旅団を編成し、平壌周辺に配置した(塚本勝一『北朝鮮・軍と政治』35頁)。
一方で、毛沢東が約束した朝鮮族部隊も北朝鮮に入ってきた。7月25日、方虎山少将が率いる中国人民解放軍166師団が瀋陽から新義州に到着し、10月に沙里院で朝鮮人民軍第6師団に改編された。8月23日には金昌徳少将が指揮する第164師団が会寧から羅南に入り、第5師団となった。この部隊の隊員は国籍も党籍も中国であり、家族は中国にいた朝鮮系中国人(朝鮮族)だったのである。
こうした動きのなかで、8月12日、「国土完整」を夢想する金日成は、朴憲永とともにシュトゥイコフ大使と会見し、南侵武装統一の構想を打診した。スターリンの指示によって、4月9日に朝鮮人民軍の最高軍事顧問となっていたシュトゥイコフ大使は、まだ北朝鮮は韓国に対して軍事的優位には立っていないと金日成の計画に反対し、スターリンに南侵統一は時期早尚である旨を報告した。9月24日、ソ連共産党政治局は、軍事的にも政治的にも準備不足であるとして金日成の南侵を認めず、ゲリラ闘争の強化を決定した。
その1カ月ほど前(8月29日)、ソ連は初の核実験に成功し、アメリカによる核兵器独占時代を終らせていた。また、中国では共産党が国民党を撃破し、10月1日、中華人民共和国を成立させた。
権力を握った毛沢東は、12月6日にソ連に出発し、12月21日にクレムリンで開催されたスターリン生誕70周年記念式典に出席して、スターリンと並んで共産主義陣営の結束を誇示した。毛沢東は翌1950年2月までソ連に滞在し、2月14日、中ソ友好同盟相互援助条約を締結した。毛沢東はモスクワ滞在中の1月22日、中国各地に残っていた朝鮮族部隊を北朝鮮に送ることを承認した(下斗米伸夫『モスクワと金日成』95頁)。全宇少将のもとに集結した部隊は、5月、元山で第12師団を形成した。
1950年1月12日、米国務省のディーン・アチソン国務長官は、ワシントンのナショナル・プレス・クラブの演説で、次のように宣言した。
「アリューシャン列島〜日本〜沖縄〜フィリピンを結ぶラインを対ソ『不後退防衛戦』と規定し、同地域の防衛をアメリカが直接責任を担う」
これが有名なアチソン演説で、大陸を追われ国民党政権がたてこもる台湾と、アメリカに追従しない李承晩政権の韓国は、アメリカの防衛ラインの外側にあることを示唆したのだった。この防衛ラインは「アチソン・ライン」と呼ばれている。
その5日後の1月17日、平壌で朴憲永外相が主催する昼食会において、金日成はシュトゥイコフ大使に対し、南侵統一を再び話題にして、「スターリンに会って、南に対する攻撃問題を話し合いたい。スターリンに会えなければ、毛沢東に会いたいと思っている」と、中ソを天秤にかけるような発言で、スターリンとの再度の面会を要請した。(つづく) 






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