|
独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第24回


 
 |



| 1900年6月22日生まれの崔庸健の革命歴は、金日成よりもはるかに古く、1920年代にすでに朝鮮共産党(火曜派)満洲総局の軍事部長を務めており、1936年に中共抗日連軍が「路軍制」に改編されると、第2路軍参謀長となった。当時は崔石泉の変名で活躍しており、ソ連の第88特別旅団時代は、崔庸健が副参謀長、金日成は第1大隊長で、金日成の上司だった。崔庸健の写真を探したみたが、ほとんど見当たらず、わずかに左上の写真のなかで、左端に立っている崔庸健を見つけた。これは北朝鮮においてソ連製機関短銃PPsh41の初の国産化に成功した際の記念写真で、左から崔庸健、金策、金一、金日成、姜健が並んでいる(1948年12月12日に撮影)。崔庸健は幾度も野の粛清の嵐のなかを生き抜き、1976年9月19日に天寿を全うして、平壌郊外にある革命烈士廟の最上級区画に葬られた(右写真、著者撮影) |
|
|
 |
第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第24回] 米軍介入を恐れる発言で停職処分となった崔庸健民族保衛相
南労党の地下党総責任者だった朴甲東氏は、武力統一問題を決定する朝鮮労働党政治委員会が4月ごろに開催されたと、林英樹という筆名で書いた手記に記している。その政治委員会には、金日成、朴憲永、許哥而、李承×、金△奉の各政治委員、それに政治委員ではないものの、民族保衛相で人民軍総司令官の崔庸健が出席したという。
「全員の討議が終り、金日成の報告〔祖国統一に関する件〕が政治委員会の承認を得た時であった。これでもう武力統一成れりという昂奮が座を包んでいた時に、崔庸健が突然思い出したように『もし、米軍が介入してくれば、どうなるかな』と軽く放言した。<略>崔庸健が突然不吉な発言をしたので、金日成は言葉も出ないほど激怒して顔を真赤にしたそうである。<略>政治委員会は金日成の発議により、崔庸健をあらゆる職務からはずし、停権処分に付することにした」(林英樹『内から見た朝鮮戦争』77頁)
そのため、崔庸健は後方で軟禁状態に置かれ、開戦時には民族保衛相兼人民軍総司令官としての職責を果たすことができなかった。崔庸健が職務に復帰できたのは開戦から3カ月後に国連軍が仁川に上陸し、大田で激戦が繰り広げられた9月末以降だったという。
1950年5月12日、金日成はシュトゥイコフ大使と会い、モスクワ会談でのスターリンの意向に従って、毛沢東と会見する準備が整ったことを伝え、次のように説明した。
「南進準備を開始するよう、すでに総参謀長に要請した。計画は作成中である。南進は6月が最適だが、この時期までに準備が完了するとは断言できない」(5月12日付のシュトゥイコフ大使からスターリンへの報告)
翌日、金日成は朴憲永と2人で極秘裏に北京に向かった。金日成の北京行きを知っていたのは、金日成が信頼している金策副首相だけだった。北京到着当日(13日)の夜、金日成は毛沢東と会見し、スターリンとの会談内容を説明した。翌日、ソ連のアンドレイ・ヴィシンスキイ外相は、毛沢東宛に次のような電報を送っている。
「フィリッポフ(スターリンの暗号名)とその友人が朝鮮の同志に対し、国際情勢の変化に伴い、朝鮮の同志が提起した統一に合意を与えた、ただし最終的には、中朝の同志が最終的に合意すべし」(下斗米伸夫『モスクワと金日成』90頁)
北京の秘密会談によって、金日成の南侵統一は毛沢東に了承された。金日成がまだ北京に滞在中の5月15日、ソ連共産党政治局は、朝鮮統一に関する決定をおこなっている。16日に北京から平壌に戻った金日成は、翌日、シュトゥイコフ大使とソ連軍事顧問団の首席顧問であるヴァシリエフ中将と会見し、戦争準備を本格化させることを協議した。
「5月の末、総参謀長姜健中将は作戦局長愈成哲上級大佐といっしょに、もう一度首席顧問ヴァシリエフ中将とポストニコフ少将にあった。席上ヴァシリエフは姜健に部厚い書類を渡した。ヴァシリエフは『これは反撃用の大作戦計画である』と愈成哲につけ加えた。<略>ロシヤ語で書いた書類を受け取った姜健は『内閣首相金同志に見せるため、なるべく早く翻訳せよ!』と命令した。
部厚い書類を握った愈成哲上級大佐は一人ではとうていできないので、まず砲兵司令官金鳳律少将、砲兵参謀長鄭学俊大佐、そして工兵局長朴吉南大佐を招いて一部ずつ分担させた。彼らはみなロシヤ語に堪能なソ連出身であった。意図的に対南作戦計画には中国出身者は全部はみ出されたのである」(『朝鮮戦争の真実』198頁)
朝鮮人民軍の工兵副部長だった朱栄福少佐は、以上のように書いている。愈成哲大佐の証言によれば、作戦計画は「戦闘命令〔作戦計画〕」「戦闘部隊の移動計画〔戦略集中計画〕」「兵站保障〔補給計画〕」「奇襲成功のための欺瞞計画〔情報謀略工作〕」の4部門に分かれており、1カ月を想定した作戦計画は、次のような3段階からなっていた。
(1) 敵の防御線を突破し、敵の主力を粉砕する。
(2) 攻撃を進展させ、敵の予備兵力を粉砕する。
(3) 敵の残党を一掃し、南の海岸に出る。(つづく)
×はヒヘンに華 △はキヘンに斗 






関連サイト

[第1回]「首相さまのご子息」は異例のスピード出世
http://www.bnn-s.com/news/08/01/071229132624.html

[第2回]金正日の権力基盤として新設された秘密警察
http://www.bnn-s.com/news/08/01/071229134648.html

[第3回]「唯一指導体系」で自分への絶対忠誠を要求した金正日
http://www.bnn-s.com/news/08/01/071229140619.html

[第4回]1975年までの対南工作を「零点」と酷評した金正日
http://www.bnn-s.com/news/08/01/080108102702.html

[第5回]謀略機関を完全掌握し権力基盤を構築した金正日
http://www.bnn-s.com/news/08/01/080109093715.html

[第6回]朝鮮解放から1年足らずで拉致を指令した金日成
http://www.bnn-s.com/news/08/01/080115093645.html

[第7回]「与えられた解放」による「上からの革命」
http://www.bnn-s.com/news/08/01/080117200341.html

[第8回]「金日成将軍歓迎大会」にすり替えられたソ連軍歓迎市民大会
http://www.bnn-s.com/news/08/01/080118093436.html

[第9回]満洲パルチザン派とソ連派が開設した「平壌学院」
http://www.bnn-s.com/news/08/01/080125090917.html

[第10回]金日成が新設した党幹部養成機関「党熱誠者学校」
http://www.bnn-s.com/news/08/01/080125112515.html

[第11回]非業の死を遂げた民族派キリスト教徒の★晩植
http://www.bnn-s.com/news/08/01/080125153845.html

[第12回]北朝鮮臨時人民委員会の委員長に就任した金日成
http://www.bnn-s.com/news/08/02/080201113144.html

[第13回]金日成を北朝鮮の指導者に決めたスターリン
http://www.bnn-s.com/news/08/02/080205102242.html

[第14回]ソ連占領軍が描いたシナリオで動いた金日成
http://www.bnn-s.com/news/08/02/080207094742.html

[第15回]1947年2月、金日成が北朝鮮人民委員会の委員長に就任
http://www.bnn-s.com/news/08/02/080210114804.html

[第16回]朝鮮人民軍の原型が整ったのは解放から2年後だった
http://www.bnn-s.com/news/08/02/080212164249.html

[第17回]2つあった対南工作員を養成する専門教育機関
http://www.bnn-s.com/news/08/02/080213152202.html

[第18回]正規軍は「北朝鮮人民軍」ではなく「朝鮮人民軍」と命名
http://www.bnn-s.com/news/08/02/080220101301.html

[第19回]民族保衛省と内務省に対南工作部署が確立される
http://www.bnn-s.com/news/08/02/080220154303.html

[第20回]北朝鮮の長い国名はロシア語案を誤訳したものである
http://www.bnn-s.com/news/08/02/080226132305.html

[第21回]北朝鮮工作員が最初に日本に潜入したのは1949年
http://www.bnn-s.com/news/08/03/080226160622.html

[第23回]ソ連軍の支援を受けて10個師団に拡充された朝鮮人民軍
http://www.bnn-s.com/news/08/03/080305094321.html

[第25回]開戦準備が進むなかで展開された「平和的統一」の欺瞞工作
http://www.bnn-s.com/news/08/03/080311094408.html

[第26回]職業軍人でないにもかかわらず前線司令官を務めた金策副首相
http://www.bnn-s.com/news/08/03/080313135850.html

[第27回]開戦初日に部隊間の通信が途絶した朝鮮人民軍
http://www.bnn-s.com/news/08/03/080317150007.html

[第28回]金日成の戦争目的のひとつは50万人の韓国人大量拉致だった
http://www.bnn-s.com/news/08/03/080321094127.html

[第29回]朝鮮戦争当時に大量拉致された韓国人の実態の分析
http://www.bnn-s.com/news/08/03/080324134737.html

[第30回]韓国から拉致した李升基博士は北朝鮮の“核開発の父”となった
http://www.bnn-s.com/news/08/03/080326095409.html

[第31回]朝鮮戦争参戦を決断した毛沢東
http://www.bnn-s.com/news/08/03/080330162726.html

[第32回]一時は金日成に対して亡命を勧告したスターリン
http://www.bnn-s.com/news/08/04/080331174923.html

[第33回]朝鮮戦争中に拉致され北朝鮮工作員となった韓国人の証言
http://www.bnn-s.com/news/08/04/080405174932.html

[第34回]対南工作を実施した人民軍最高司令部直属の526軍部隊
http://www.bnn-s.com/news/08/04/080408090309.html

[第35回]国内派(南労党)の牙城だった工作員養成機関「金剛学院」
http://www.bnn-s.com/news/08/04/080409154755.html

[第36回]対日工作員は朝鮮戦争中でも養成され日本に潜入していた
http://www.bnn-s.com/news/08/04/080414151453.html

[第37回]朝鮮戦争中にソ連派重鎮の粛清に成功した金日成
http://www.bnn-s.com/news/08/04/080416172756.html

[第38回]クーデター発覚によって廃止させられた金剛学院
http://www.bnn-s.com/news/08/04/080418143420.html

[第39回]朝鮮戦争後に組織改編された対南工作機関
http://www.bnn-s.com/news/08/04/080422120517.html

[第40回]1950年代に日本に潜入していた工作員は内務省所属
http://www.bnn-s.com/news/08/04/080424163248.html

[第41回]朝鮮戦争直後の拉致の疑いが濃厚な「特定失踪者」
http://www.bnn-s.com/news/08/04/080425101500.html

[第42回]朝鮮総連の誕生直後に工作員に包摂された在日朝鮮人
http://www.bnn-s.com/news/08/05/080425111726.html

[第43回]国家情報委員会と内閣情報総局は実在していたのか
http://www.bnn-s.com/news/08/05/080502105451.html

[第44回]金日成に対する個人崇拝を史上初めて公然と批判した尹公欽
http://www.bnn-s.com/news/08/05/080507122026.html

[第45回]粛清を繰り返して完成させた金日成の「首領独裁制」
http://www.bnn-s.com/news/08/05/080508163634.html






このページのTOPへ




|