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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第31回


 
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| 1993年に平壌で発行された『卓越的領導光輝的勝利』(中国語版)には、朝鮮戦争当時に朝鮮人民軍最高司令部が置かれ、現在は「高山鎮革命史跡地」となっている写真を掲載した。最高司令部旧址の革命史跡がある「高山鎮」は、平壌市大城区域高山洞と推定されるが、詳細は不明である。民家にカムフラージュした建物は地下壕の入り口で、人民軍最高司令部は右手奥の山の地下にあったと思われる |
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第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第31回] 朝鮮戦争参戦を決断した毛沢東
ソウルを占領した朝鮮人民軍はさらに南下し、7月20日、韓国の臨時首都となっていた大田市を陥落させた。国連軍は人民軍の南下をくい止めるため、8月3日、韓国南部を流れる洛東江に沿って防衛戦を構築し、反撃の態勢を整えた。
1950年8月15日、金日成は朝鮮解放5周年記念日の式典において、南朝鮮の90パーセントを解放した、と誇らしげに宣言した。
「8月中旬、人民軍最高司令官金日成元帥が、ものものしい警戒と護衛に守られて、前線司令部にきた。彼は7月上旬にもソウルにきて、中央庁に寄ったことがある。今度は戦線視察の名目で、梨花嶺手前の水安堡の温川まで行って帰る途次である」(『朝鮮戦争の真実』324頁)
人民軍第2軍団の工兵副部長だった朱栄福少佐は、朝鮮戦争中に金日成が2回占領下の韓国を訪れたことを明らかにしている。ちなみに、この時点では金日成にはまだ元帥の称号は授与されておらず、元帥になったのはその3年後(1953年2月7日)のことである。
米軍を中心とする国連軍は、戦力を着々と増強して強力な反撃に出た結果、人民軍第2軍団の第15師団を壊滅させ、その戦闘中(9月8日)に、人民軍前線司令部の姜健総参謀長が地雷に触れて戦死した。9月15日、国連軍が仁川上陸に成功すると、戦局は一変した。金日成は戦局を立て直すため、ソ連軍事顧問団と会談し、9月26日、自ら最高司令官と民族族保衛相を兼務することになった。
「北朝鮮軍に決定的な危機が訪れ、北朝鮮軍は2個師団を投入してソウル防衛司令部を設置した。司令官に任命されたのは〔軟禁を解かれた元民族保衛相の〕崔庸健だった。しかし、国連軍の猛攻の前にこの2個師団は一挙に壊滅させられた。北朝鮮軍は浮き足立ち、総崩れとなった。金日成は軍内部に総政治局を設置し、総政治局長には朴憲永をあてて兵士の精神教育を担当させた」(『北朝鮮50年史』168頁)
しかし、戦いに敗れ、規律を失った脱走兵、落伍兵、傷病兵たちは、群れをなして北に敗走していった。
「第2軍団長〔金〕武亭中将は拳銃を握り、要路に立って命令もなく後退して来る軍官〔将校〕を捕えてはやたらに銃殺した。一番初めにに銃殺されたのは、軍団軍医部長であった。彼は数千名の負傷兵を野原におきざりにしたこととロクな治療もなしに犬死にさせたこと、そして自ら真っ先に安全を求めて退却したとかで銃殺された。手兵なしに倉皇に戦線から戻って来る指揮官は、文句なしに銃殺した」(『朝鮮戦争の真実』378頁)
軍団長が独りで軍規を立て直そうとしても、徒労に終わるだけだった。金武亭中将による独断即決の銃殺は、軍団政治委員である金燦少将との対立を引き起こし、また将兵たちの間で恐怖感と嫌悪感が広まり、軍団崩壊を加速させた。
9月27日、国連軍がソウルを奪回すると、2日後の29日、金日成は朴憲永との連名で北朝鮮が直面している困難な状況を説明する電報をスターリンに送り、緊急軍事援助を要請した。黒海沿岸のソチに滞在していたスターリンは、10月1日、金日成ではなく毛沢東に対して電報を送り、中国人民解放軍5、6個師団の派遣を打診した。
その日、朴憲永は中国人民解放軍の出動を懇願するする金日成との連名の要請書を持参して、密かに北京を訪問した。同じ日、韓国軍は38度線を突破し、人民軍を追って北上を開始した。朴憲永の要請を受けて、翌10月2日、中国共産党政治局拡大会議が開かれ、毛沢東は「抗美援朝、保家衛国」を決定しようとしたが、反対論が多く、その日は援軍派遣を決定することはできなかった。
韓国軍だけではなく国連軍も、10月2日、38度線を越えて北上を開始し、国連軍総司令官のマッカーサー元帥は、北朝鮮に対し無条件降伏を要求した。戦況は緊迫しており、出兵の必要性を感じていた毛沢東は彭徳懐と議論を重ね、10月5日、人民解放軍の派遣を決断し、10月8日に彭徳懐を総司令とする人民志願軍の編成命令を下した。(つづく) 






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