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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第34回


 
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| 北朝鮮最高の栄誉である「英雄」称号には、「共和国英雄」と「労働英雄」の2種類がある。「共和国英雄」称号を授与されると、左上写真のような共和国英雄章一式と下の写真のような「位記」が与えられ、同時に「国旗勲章第1級」が授与される。左上写真は、金正日の母親である金貞淑が死後に授与されたもので、首にかける「頸飾」のなかに、「共和国英雄章」、「紐(頸飾と章を連結するもの)」、「国旗勲章第1級」の3点がある。下の写真の「位記」は金貞淑に授与された際のもので、没後23年目の命日前日の日付となっている。1975年2月15日、金正日は34歳(公式には33歳)の誕生日前日に、初の「共和国英雄」称号を授与され、共和国英雄頸飾と国旗勲章第1級、そして共和国英雄章を佩用し、右ポケットの上には金日成バッジを着用している姿が右上の写真である |
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第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第34回] 対南工作を実施した人民軍最高司令部直属の526軍部隊
朝鮮戦争中の1951年3月、中学2年だった14歳のときに北朝鮮に拉致された金東赫(仮名)氏は、黄海道黄州市にあった対南工作員を養成する「ソウル市青年訓練所」に入所させられて、3カ月の教育・訓練を受けたという。修了後には朝鮮人民軍最高司令部直属の「526軍部隊」に配属され、「工作組」の隊員となって韓国領内にしばしば潜入するようになった。金東赫氏は、南派された際の手柄話のひとつを、次のように述懐した。
「私たちが漣川〔京畿道〕に進出しているとき、雨が降って来たので洞穴で雨宿りしていると、大きな男2人が入って来ました。私たちは男の急所を攻撃して倒してみると、彼らは中共軍〔中国人民義勇軍〕でした。〔私が属していた工作組の〕組長が中国語で彼らの所属部隊について尋ね、『我われは朝鮮人民軍である』と話すと、彼らは喜び、彼らの隊長のところに案内してくれました。私たちの任務はルート工作や偵察であり、部隊訪問は規律違反でした」
金東赫氏によると、中国人民義勇軍の敗残兵402人が、米韓軍に包囲されて脱出できなくなっていたのだという。その敗残兵たちは思想政治保衛部長によって統率され、包囲された山中で果物などを食べて、しのいでいた。
「その隊長は、中共軍司令部に手紙を送るため、2人の部下を北に連れて行ってほしいと言いました。そして、10日後から決めた場所で、2人が帰って来るのを毎晩待っているということになりました。これは私たちにとってヒットでした。
私たちが帰隊して、方向長(李)に報告すると、李方向長は自分たちが中共軍を救出して手柄を上げることができると喜び、人民軍と中共軍に連絡しました。数日後、将軍クラスが私たちの『方向』にやって来て、中朝連合軍司令部命令第0112号によって、西部前方連絡所の全兵力を動員して、中共軍を救出するということになりました」
金東赫氏は、第526軍部隊は「西部前方連絡所」と「東部前方連絡所」に分かれ、西部前方連絡所には大隊編成の金東赫氏が所属していた『第1方向』があったと証言した。
「第526部隊は中和訓練所(平安南道大同郡)、および紫足訓練所(江東郡)において武装工作員を養成した。第526部隊の直属部隊として第1支隊、第2支隊、第9支隊、第10支隊の4個部隊が北朝鮮国内に組織された。第526部隊内の機構として、組織部、幹部部、後方部、安全部があり、部隊長の直轄部隊として韓国国内に部隊の一部を派遣した。その隷下に東部地区連絡所と西部地区連絡所があった」(『北朝鮮情報機関の全貌』23頁)
第526軍部隊については以上のような情報があり、この記述では「西部地区連絡所」となっており、その点をただすと「地区連絡所」ではなく「前方連絡所」という名称だったと、金東赫氏は明言した。ちなみに、第526部隊の別名である「遊撃指導処」は、『北朝鮮情報機関の全貌』によれば、党連絡部の直属機関となっているが、金東赫氏は人民軍最高司令部の直属機関だったと断言した。
金東赫氏が所属する「西部前方連絡所」は全力をあげて、1951年9月から11月にかけて、中国人民義勇軍の敗残兵救出にあたった。
「彼らの救出のために、私たちが開拓した5つの対南浸透ルートの全てを使い、1ルートで1回に3人を救出するというピストン作業をおこない、402人全員の北送案内を成功させました。敵地で6カ月間も孤立しておりながら、全員が無事に帰還したという例は、過去にはありませんでした。中共軍を発見した私たちの工作組の3人は『英雄』称号を授与され、他の参加者たちは国旗勲章をもらいました。私は1952年5月に負傷して、中共軍の野戦病院に入りましたが、中共軍を救出した英雄として特別待遇でした」
その後、金東赫氏は「英雄工作員」と呼ばれるようになったというが、「共和国英踰」称号を実際に授与されたのは、それから17年後のことだったという。「英雄称号をもらうまでには、悲しい物語があるんですよ」と、金東赫氏は力なく笑った。(つづく) 






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