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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第37回


 
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| 左上の写真は1947年1月の撮影で、左から金策(44歳)、許哥而(43歳)、金日成(35歳)のスナップ。金策は、朝鮮戦争勃発から半年後の1951年1月31日に戦死したことになっていたが、金日成は回顧録のなかで、金策は執務室で夜を明かした後に心臓麻痺で死亡したと公表した。しかし、練炭によるガス中毒による事故死説や、政治的暗殺説などもある。右上は許哥而の結婚式の日の写真で、左から金△奉、許哥而、許哥而夫人(ニーナ・ペトロヴナ)、金日成夫人(金貞淑)、金日成、許貞淑。下の写真も同じ結婚式当日の写真で、左から、朱寧河、金策、金日成、金△奉、許哥而、許哥而夫人、金△奉夫人、金日成夫人、朱寧河夫人。残念ながら、許哥而の結婚式の年月日は不明である。写真はいずれも『北朝鮮王朝成立秘史』より転載。△はキヘンに斗 |
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第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第37回] 朝鮮戦争中にソ連派重鎮の粛清に成功した金日成
米韓軍によってソウルが奪回された後も、中朝軍の攻勢は続き、38度線を挟んで激戦が続いた。国連軍総司令官のマッカーサー元帥は、旧満洲に対する戦略爆撃によって中国軍の補給路を断つという主戦論者だったため、戦線が中国まで拡大しソ連を刺激するのを恐れていたハリー・トルーマン大統領と衝突し、1951年4月11日、マッカーサーはトルーマンに解任されて、後任にリッジウエイ中将が任命された。
当初は戦争継続を主張していた毛沢東も、中朝連合司令部の彭徳懐総司令の建議を受け、休戦を考えるようになった。6月3日、金日成は北京を訪れ、毛沢東と会談した。そして、スターリンと話し合うため、金日成はその足で、6月8日、モスクワに向かった。このモスクワ会談で、スターリンは休戦交渉を始めることを承認した。
6月23日、ソ連のヤコブ・マリク国連代表が休戦を呼びかけると、28日には、リッジウエイ国連軍総司令官も金日成に対し、休戦交渉を提案した。その結果、7月10日から15日まで、開城で初めての休戦会談が開かれた。
韓国の李承晩大統領は休戦には強く反対しており、休戦会議に出席したのは、国連軍側からは首席代表のチャールズ・ジョイ極東海軍司令官だけで、韓国軍代表は欠席し、中朝軍側は朝鮮人民軍の南日総参謀長、中国人民義勇軍の◎華、中朝連合司令部の李相朝らの顔ぶれとなった。
以後、和平交渉という名の2年間にも及ぶ別の「戦争」が始まった。10月25日から、休戦会談の会議場は開城から板門店に移された。
金日成は戦争が休戦に向かうなかで、11月1日から4日まで党中央委員会第2期第4回総会を開催し、ソ連派重鎮で金日成、朴憲永に次ぐナンバー3の地位にあった許哥而を痛烈に批判した。金日成は朝鮮労働党を大衆政党にすることを考えていたが、許哥而はソ連型のエリート集団を目指しており、2人は激しく対立していた。許哥而は、戦争中の混乱で党員証をなくした党員を敵への協力者だとして厳しく処分し、多くの反発を招いていた。朝鮮戦争中、60万人いた党員のうち45万人が追放されたという。
金日成は許哥而に対して、「党組織のことは何でも知っているが、朝鮮語も満足に話せない『党博士』は、朝鮮の実情から目をそむけたまま外国方式を適用しようとした」と攻撃し、党活動を含め何事に対しても秘密主義であると非難した。
その結果、許哥而は党第2副委員長兼政治委員を解任され農業担当副首相に降格され、米軍の空爆で被害を受けた順安貯水池の復旧事業を担当することになった。それから2年後、朝鮮戦争休戦直前の1953年7月2日、許哥而は自殺したといわれるが、その事実が公表されたのは8月4日の党中央委員会第2期第6回総会においてであった。
1956年に亡命した朝鮮系ソ連人の許真少佐(本名・許雄培)は、許哥而の自殺について次のような内幕を書いている。
「その夜〔年月日不明〕、〔許哥而の〕舅にあたる崔表徳中将(朝鮮人民軍機械化部隊総司令)は許哥而を訪ねた。彼等は夕食をともにし、チェスを楽しんだ。夜11時頃、崔表徳は自分の宿所へ戻った。翌朝、崔表徳は許哥而が『自殺』したという噂を聞いた。崔表徳が急いでかけつけてみると、屍体は血まみれのままベッドに置かれてあった。副官の説明によると、許哥而は一晩中眠りもせずに手紙か何かを書いていたという。(その手紙は家族には戻されていない)朝、出勤の準備をし、副官と運転手に先に食事をするよう指示したあと自分(許哥而)はベッドに寝て、〔金日成〕首相が贈った自動小銃(国産多発銃)の引き金に紐を結び、(夫人のワンピースの帯)ベッドの脚の鉄製の握りに通して引っ張り、自殺したという。銃声を聞きつけて副官と運転手がかけつけたときには、許哥而はすでに息絶えていたという」(『北朝鮮王朝成立秘史』201頁)
許真元少佐によれば、ソ連軍事顧問だった崔表徳中将は許哥而の死後にソ連に帰国し、許哥而の友人たちに許哥而は金日成に暗殺されたと話していたという。
金日成は朝鮮戦争中にソ連派の重鎮だった許哥而を粛清することに成功したが、ソ連派は延安派や国内派と異なり、政治的勢力としてまとまっていなかったため、ソ連派を集団的に粛清するような事件にはならなかった。(つづく)
◎は登にオオザト 






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