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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第42回


 
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| 平壌を訪れる場合、一般的には平壌の北にある順安空港に着いて、車で市内に向かって南下する。市内に入って訪問者がまず眼にするのが、巨大な凱旋門である(上の写真)。幅50m、高さ60mで、「パリの凱旋門より10mも高いのです」と現地のガイドは無意味な自慢をする。左右の柱には「1925」と「1945」の数字があり、金日成が革命を始めた年と凱旋帰国した年と説明されているが、これは史実に即さない虚偽表示であり、凱旋門自体が捏造された建造物と言う他はない。凱旋門を通り過ぎると、1956年の党中央委員会12月総会で決議された「千里馬運動」のシンボルが見えて来る(左下の写真)。高さ46mの千里馬銅像は、1961年に金日成の49歳の誕生日に除幕された。そして、直ぐに巨大な金日成の銅像が木々の上に姿を現わす(右下の写真)。金日成の還暦を祝って金正日が1972年に建設した金日成像は、台座と合わせて高さ23mだが、万寿台の丘の上に立てられているため、遠方からもよく見える(いずれも著者が撮影) |
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第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第42回] 朝鮮総連の誕生直後に工作員に包摂された在日朝鮮人
1955年5月26日、東京で「在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)」が結成され、韓徳銖が議長に就任した。
朝鮮解放後の1945年10月、日本にいた朝鮮半島出身者たちは「在日本朝鮮人連名会(朝連)」を組織したが、韓徳銖は朝連の結成に参加しており、朝連中央本部の総務局長に就任した。1949年8月にGHQのマッカーサー総司令官によって、朝連が解散させられると、北朝鮮を支持する在日朝鮮人たちは1950年1月、新たに「在日朝鮮民主戦線(民戦)」を結成した。
朝鮮戦争が勃発すると、民戦は「祖国防衛委員会(祖防委)」を発足させ、その配下に「祖防隊」という武装部隊を組織し、火炎ビン投擲や警察署襲撃などの「後方基地撹乱」によって、朝鮮戦争に加担していた。
当時の民戦や祖防隊の武装闘争は、日本共産党の「民族対策部」の指揮下にあったが、1955年1月、日本共産党は「極左的冒険主義と手を切る」ことを宣言し、3月には在日朝鮮人が日本の革命闘争に参加することを禁じる決定をおこなった。そのため、5月23日に開かれた「民戦」第6回大会において、翌日に民戦を解散することが決議され、日本共産党に所属していた在日朝鮮人は全員が離党した。そして、「朝鮮総連」が結成されると、朝鮮労働党の指揮下に入った。日本共産党の「民族対策部」の責任者だった朴恩哲は、その後、平壌に召還されたが、行方不明となっている。
朝鮮総連が結成された年の11月30日、朝鮮労働党出版社は平壌において「活動幹部党員の理論水準と実践能力を高める目的」で、『朝鮮解放運動史(1919年〜1953年)』という「政治学校用参考資料」を発行した。この資料は1956年2月10日に朝鮮総連と関係の深い学友書房から翻訳・出版されたが、氏名不詳の訳者は「概要」という解説のなかで、朝鮮総連について次のように述べている。
「朝鮮総聯は、その結成当初から在日本という条件のもとで、在日朝鮮人を北鮮〔原文のママ〕共和国と朝鮮労働党に直結させ、いわゆる『共和国公民』として教養するとともに、北鮮からの指導(物質的と思想的の両面)をうけ、また日本共産党など日本の左翼系諸団体との密接な連絡と援助のもとに『朝鮮の平和的統一独立運動』を強く推し進めている。<略>朝鮮総聯組織の幹部や活動家の思想水準を高めるため、『総聯中央学院』を設置して、本資料を講義内容とした『民族解放斗争史』を、全講義時間の60%以上これにあてている。またいま全国的に学習運動をおこして、各県本部や支部単位に『学習組』を組織して、マルクス、レーニン主義理論の研究の場をつくろうとしている」(1976年に湖北社が復刻した『朝鮮解放運動史』17頁)
このなかに登場する「学習組」は、現在では朝鮮労働党に忠誠を誓う非公然組織として知られ、朝鮮総連が大衆組織であるのに対し、総連結成の翌年に組織された学習組は実質的な朝鮮労働党日本支部であるといわれている。学習組には表と裏の組織があり、「表の学習組」は上記のように、当初はマルクス・レーニン主義理論、1967年以後は金日成の論文などを学習する思想的エリート集団であるが、「裏の学習組」は「南朝鮮革命・赤化統一」のために非合法活動をおこなう組織で、「表」とは異なり朝鮮総連内でも秘密の存在で、工作員の潜入・脱出のサポートや対韓工作などをおこなっており、日本人拉致に加担した疑いがもたれている。学習組については、また後に言及することにしたい。
在日朝鮮人である崔竜雲(日本名は須谷良介、当時32歳)は、朝鮮総連が結成された1955年、総連の関連団体である「女性同盟」の副委員長と北朝鮮から潜入していた工作員(氏名・所属不詳)によって、北朝鮮の工作員に包摂された。在日本朝鮮民主女性同盟(女性同盟)は、「朝聯婦人部」を経て、1947年10月12日に結成されていた。
1956年1月31日、崔竜雲は福岡県八幡港からノルウェー船で、香港を経由して北朝鮮に渡った。8カ月間のスパイ教育・訓練を受け、10月3日、内務省の工作員である李亨とともに漁船「弘昇丸」で、北海道乙部港から日本に密入国した。1957年6月25日、北海道警察は崔竜雲を逮捕したが、これが「弘昇丸事件」と呼ばれる北朝鮮のスパイ事件である。(つづく) 






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