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独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第44回


 
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| 1956年4月の第3回党大会の後、金日成は政府代表団を率いて、6月1日から7月19日までの長期にわたって、ソ連、東独、ルーマニア、ハンガリー、チェコスロヴァキア、ブルガリア、アルバニア、ポーランド、モンゴルを歴訪した。代表団の随員は、朴正愛党副委員長、南日外相、李鍾玉国家計画委員長、崔賢民族保衛省副相などの他、朝鮮民主党と天道教青友党の副委員長、そして2人の「労働英雄」がいた。上の写真は、7月6日から12日までのソ連訪問の際の写真で、金日成の右はニコライ・ブルガーニン首相である。下の写真は、帰国する直前に3日間滞在したモンゴルでの歓迎風景。当時はモンゴル人民革命党のユムジャギン・ツェデンバル第1書記が、独裁者として権力をふるい、スターリン批判に倣って首相だったチョイバルサン批判をしていたが、写真にはツェデンバルは写っていないようである |
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第3部 独裁者・金正日権力の源泉
第1章 党の謀略機関を掌握し拉致工作を定式化
[第44回] 金日成に対する個人崇拝を史上初めて公然と批判した尹公欽
955年4月、党中央委員会総会が開かれ、朝鮮戦争後の南北統一戦略として、北朝鮮は国力を強化し、南朝鮮革命を起こし、祖国統一を図るという「革命的民主基地路線」が打ち出された。
「革命の根源である北半部の民主基地を政治的・経済的・軍事的に強化し、米帝国主義とその同盟者を打倒して南半部を解放し、祖国統一と完全な民族を達成する」
4月の総会で採択されたことから「4月テーゼ」とも呼ばれ、「すべての力を祖国の統一独立と共和国北半部における社会主義建設のためにーー我が革命の性格と課題に関するテーゼ」に基づいた対南工作は、次の3つの基本方針からなっていた。
(1) 「平和統一」という政治的宣伝攻勢
(2) 破壊・テロ活動などによる軍事的攻勢
(3) 統一戦線戦術による韓国内での革命・撹乱工作
この4月テーゼに沿って、北朝鮮は工作員養成機関を拡充し、工作船を建造し、工作員を韓国や日本に派遣したり、朝鮮総連に学習組を組織したりして、秘密工作をおこなってきたのである。
金日成はこの4月総会において、「党員の階級的思想教育を強化することについて」という報告をおこない、この報告に基づいて、内相や逓信相を歴任した朴一禹、朝鮮戦争で武勲をあげて共和国二重英雄となった方虎山などの延安派を粛清した。
その年の暮れ(12月28日)、党宣伝煽動部の活動家に対しておこなった演説で、金日成は初めて「主体(チュチェ)」について具体的に語った。「思想事業で教条主義と形式主義を一掃し、主体性を確立するために」という金日成の演説は、北朝鮮が主張する「主体思想」の原点となったが、1990年以降の主体思想とは異なり、当時はまだマルクス・レーニン主義理論を否定していなかった。
金日成が「主体」を強調するようになったのは、その年の2月末にソ連共産党第20回大会が開かれ、ニキタ・フルシチョフ第1書記の秘密報告によってスターリン批判がおこなわれたからである。スターリンの個人崇拝が批判されると、ソ連共産党に従う「ソ連派」が集団指導制を主張して金日成の個人崇拝を非難することになりかねず、そうした事態を防ぐためだった。
翌年1956年4月23日から29日にかけて、第3回朝鮮労働党大会が8年ぶりに開催され、ソ連共産党のレオニード・ブレジネフ党政治局員兼書記が党代表団の団長として出席した。金日成は「祖国の平和統一に関して」という報告をおこなったが、ソ連の集団指導制には触れず、南労党や朴憲永を非難して粛清を正当化した。この大会で、金日成は党委員長に再選されたが、朝鮮民主党委員長の崔庸健(副首相兼民族保衛相)が朝鮮労働党に移籍して、副委員長となった。
党大会をなんとか乗り切った金日成は、ソ連政府の招きで、1956年6月1日から7月19日までの長期間、政府代表団を率いて、ソ連・東欧9カ国を公式訪問した。その金日成の不在中、北朝鮮国内では延安派の崔昌益(副首相)、尹公欽(商業相)、李弼奎(機械工業局長、前内務省副相)、徐輝(職業総同盟委員長)、高鳳基(平壌市党委)、ソ連派の朴昌玉(副首相)、金承化(建設相)などが、金日成打倒の謀議を進めていた。
外遊から帰国した金日成は、8月30日に党中央委員会総会(第3期第8回)を開催した。金日成の訪欧報告が終わると、尹公欽が金日成に対して個人崇拝を激しく非難した。
「中央委員会で正々堂々と金日成を批判したことは、朝鮮労働党史上、これが最初だった。たちまち会場は騒然となり、崔庸健を始め金日成派は、尹公欽の演説を妨害して『この畜生め!』『この犬の子の奴め、おりてこい!』と罵言を発し、尹公欽を演壇からひきずりおろそうとした」(朴甲東『内から見た朝鮮戦争』243頁)
結局、尹公欽は党除名の処分となった。翌日、崔昌益、徐輝、李弼奎、朴昌玉らが金日成非難を続けたが、総会では反金日成派は孤立し、その論争に破れたのだった。その夜、尹公欽、徐輝、李弼奎は同じ延安派の金剛(文化宣伝省副相)と4人で鴨緑江を越えて、中国に亡命した。この騒動は「8月宗派事件」と呼ばれている。(つづく) 






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